南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆これからも

2012-10-07 22:14:38 | 人間

 1361 これからもよろしく!!成り行きで間に入ってしまった会社が、知識でも技術でも何ら役割を果たすことができなかった。何年かその状態が続いたが、話し合いで抜けてもらうことにした。直接、取引が徐々に増えていった。利益は充分に上げさせてもらった。それ以上にその会社にもっと多くの利益を与えていた。当時、Kg600円~1000円する原料で製品を作り、三倍の1800~3000円で納めていた。利益は三分の一を超えていたので,一カ月3トン分納品すれば、百八十万~三百万円の利益があった。その会社は原料価格に十倍で売っていた。諸経費を引いても、五百万円くらいの利益を上げていたようだ。今もその製品は同じ客先に納められている。それを知ったら、腰を抜かすほどの話だと思う。それぞれの売値は半減して利益も半減しているが、それでも、充分、満足な仕事として継続している。ただし、その会社の兵隊さん、いちゃもんを付けては、たびたび、私の会社の現場に乗り込んできて、いつの間にやら、そっくりの方法で、社内で生産を始めてしまっていた。だから、その会社の一部の建物の小物製品生産工場は、私の会社の装置とそっくりである。

半年ばかり、その方の要望で顧問として、通ったことがある。良くここまでまねたなと思うほどの装置が自分達の技術と思い込んでいる若者作業者によって、運転されていた。

その他にも、私の会社で手掛けた製品ではないが、その会社の技術開発担当者がしばしば私に相談に来た。今は現役を引退したり亡くなってしまったりした人たちだが、その人の腹心の部下として、創業以来会社に貢献してきた人たちでした。海外の工場も彼らが前線で恰好を付けたのでした。その活躍ぶりを知っているし、同世代なのだし、技術屋なので、話があった。彼らの問い合わせや確認には親身になって答えた。私が指示した通りに装置を作ってトライをし、その結果について、検討し、再度、改良装置でトライ、それを繰り返して、ついに製品化に成功した製品が幾つかある。いわば、共同開発だが、それは、彼らだけの力でやったことになっている。そういう製造工程も数ラインある。

 

そういうことは、その人知っていて、色々世話になっているなと、何回か言われたことがある。

そういう人達がいなくなってしまって、創業当時の貴重な経験、経過を知る人はいなくってしまった。本人一人が年齢も飛びぬけて高くなってしまった。それでも、会長として、孤軍奮闘、側面から見ていて、もう、そろそろ、気楽になったら?と思うことがあった。私が言うのはおこまがしいが、実際に、そう言ってあげたこともあった。取り巻きに言ってやる人はいないからだ。

かくして、テレビドラマでしか見たことが無いような、クーデターが起きてしまった。直属の部下たちも反対しなかったし、そんなことなら、私も身を引くとは言わなかった。

 

私がインドネシアへ来てしまってからも、日本へ帰るたびにゴルフに誘われて、やっている。今もそれは継続している、この年末、年始にも何回かご一緒することになるでしょう。今までずっと、家庭を振り返らなかったので、今後はゆっくり奥さんと旅にでも出てほしい。多分、そのお手伝いをすることになるでしょう。どっちかが死ぬまでよろしくと言うところでしょう。

 

 最近現れた焼き芋屋、蜂蜜のように甘いさつま芋と言う意味です・値段は1Kg一万Rp、約、80円です。

 

 年末のオープンと書いてある工事中のホテル、ズリ エクスプレスと書いてあります。マクドナルドの裏、ファーマーズマーケットの右横。リップチカランの現在のホテルの合計部屋数の倍くらいの部屋数が在りそうだ。

 

長生き 息抜き 回顧

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