南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆開店準備

2012-10-18 22:16:55 | 情報

 1372 押出機や引取機、カッターはタンジュンプリオクに着いている。明日辺りに搬入されればいいなと思うが、内容チェック中とか、いつ始まるのかいつ終わるのか、いつ搬入されるのか、タイムテーブルは作れないが、インドネシアのことだから、全く予想がつかない。

その他の準備、主に試作に使う金型と原料の手配だが、おおむね、揃ってきた。試作には何百キロもいらない、せいぜい、25~50Kgもあればいい、しかし、種類は多ければ多いほどいい。原料屋にサンプルを頼んでも少量購入となれば手に入りにくいし、価格が高くなってしまう。これには今までお付き合いした方々の協力なしでは、簡単にできないことだが、幸いにも、快く引き受けてくれる方が多くて大変助かった。ゼロから仕事を始めるのは何回目でしょうか。どんな原料でも。始めて手に入れた時の喜びは本当に良いものです。ありがたい。

 

 インドネシアには私の教え子が最低でも50人はいる。その内の半数以上は16年前18~20歳だった人たちである。彼ら彼女らはインドネシアでのエンプラ押出しに先駆者です。その人たちが、三社で重要な位置に着いている。今や年齢も三十代の後半、脂が乗り切っている年代です。それぞれは、会社の営業が仕入れてきたアイテムをできるかどうか判断し、日本人に伝えている。日本人がやると決断すれば彼らが実行する。

 ただし、日本人が引き受けようと決断するには相当リスクを感じるらしくて、断ってしまう場合もある。

会社の営業が仕入れた話の他に、これだけ長く押出しの仕事をやっていれば、現場の人間たちにも“お前のところでできないか”“お前のところでやってもらえないか”という話は舞い込んでくる。ところが、それらの話は、その会社の営業には話をしない。何故でしょうか、理由ははっきりしている。自分に見返りが何もないからです。また、話をしても、もみ消される可能性が高いからです。やってほしいと言った人に対する期待を裏切る可能性が高いからです。余計なことに首を突っ込みたくないからです。

そういう話を受ける環境を作ることが大切ですが、そこまで、頭が回らないのが普通の人です。

 

 もともと、私の仕事はホビーの一つですが、年をとるにつれてその度合いは高まる一方。インドネシアで誰も引き受けない仕事をやって行く意欲は衰えない。これからも、以前と同じように、色々な仕事を断らずにやってみようと思う。今までたくさんのそういう仕事をこなしてきたが、その教え子たちから聞いているだけでも、やみくもの引き受けてしまうわけにはいかないが、まだまだ、在ることは確実である。

 

 ヒュンダイの工業団地を過ぎてデルタシリコン2に入る、なおも進むと、こういう景色になる。デルタシリコン5とか6でしょうか。時間が無くて、端まで行かなかった。とにかくここも広い。

 

 原料 機械 人間

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