南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆伝える

2016-01-26 22:51:39 | 行動

 2566 朝のミーティング、私が参加しても意味がないので、遠慮していたが、最後ということにして、参加し、今後の予定を話した。2月23日にビザが切れるので、その前、2月15日ごろには、会社には来なくなる、その後、日本に帰る。いつ来るかは未定だが、出来るだけ早く、インドネシアに戻る。その予定は、帰国する前までには伝える。インドネシアに来て、リタイヤビザを取る。仕事をしてはいけないので、仕事はしないが、何かと相談には乗る。リタイヤビザの一年間は、コミサリスと日本に住む私と技術指導の契約をする。その条件は、ポケットマネーからの支援と航空運賃往復三回分とインドネシアにいる間の車を貸してもらう。滞在場所は、すでに、グラハタマンを借りてある。日本とインドネシアに約三か月交代で滞在する。

 

エポの書類はすでに出したというが、確認する必要がある。会社を辞めた後のことは、若ダイレクターに一週間前に、契約書案を作るように頼んであって、やっと、先ほど夕方、案を送られてきたが、大間違い、会社と私の契約書として送って来た。私はリタイアをするということをわかっていない。会社を辞めるから、エポの手続きを頼んであって、その書類は出したと私に返事をしているのに、そして、リタイヤビザを取ると言っているのに、である。

 

タマンセントサの家を完全に返還した。最終の電気代を払い、鍵と錠を返した。5年間ここに住んだ。デルタマスの住宅から、引っ越した理由は、マリアさんを田舎に返すためだった。結婚しているのに、夫を田舎に残したまま、私のところに来ていた、非常に助かったが、いつまでも、その状態にしておくことは、彼女の将来にとっていいことではないと思い。彼女を突き放すことにした。彼女を田舎に帰らせて、子つくりに励むように言い聞かせた。彼女がいない間に、私はデルタマスの家から出た。まだ、ナンブにいた時だったから、勤め先は、彼女は分かっていたが、行き先は知らせなかった。

 

彼女がその二か月あたり後にデルタマスの家に戻った時に、私がいないことが分かった。すぐ電話がかかってきた。そして、田舎で夫と一緒に暮らしなさいと言った。デルタマスの住宅は、もともと、彼女の名義になっている。車は、会社からレンタカーを支給されていたので、私の車で荷物を田舎に持って行き、車は返す必要ないと言ってやった。1998年のキジャン、三代目のモデル、インドネシアでは初のオートマ車だった。レートの関係で、70万円くらいで手に入れた代物だ。要するに一軒家(200ジュタ)と車を渡して、田舎に返した。その二年後に2012年に長女を生み、今は二児の母だ。偶にSMSで現状が入ってくる。そんな、思い出があるタマンセントサでした。

 

そして、多くの期間、彼女と住んだ、グラハタマンに戻った。ジャバベカ1からそこまで向かい道の途中、前にドライポートに向かうコンテナ車がある。

返還 別れ 再会

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