エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

色付かないリンゴは悲しい・・・上州沼田のリンゴ園

2010年09月07日 | グルメ
赤いリンゴに
唇寄せて

と歌ったのは並木 路子さんである。
作詞はサトーハチローだ。
確か作曲は万城目 正であった。

可愛らしく澄んだ歌声の並木 路子さんだからこそ大当たりしたのだと思う。

過日、吹割の滝を紹介したけれど、その帰り道にリンゴ園に立ち寄った。

津軽が店頭に置いてあった。
試食してみたけれど、ほんのり甘かった。



リンゴ園もそうだけれど、道の駅「白沢」でもリンゴの絶対量は少なかった。
この色づき方ではむべなるかな、である。



一番色づいている木でもこんな有様である。
リンゴ農家の苦悩が伝わってくるのだ。



これもそうだけれど、青いリンゴの種類ではない。



色づいているようでも、この状態である。
疎(まば)らであって、綺麗に均等に赤くないのである。

昨夜のニュースで、色づかないリンゴが報道されていた、
それは事実であるのだ。

異常気象は、こんな被害まで出しているのである。





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中山道の旧道は山中にあり

2010年09月07日 | 旅行
信州の蓼科の周辺をドライブすると、そのほとんどが山の中である。
都市部の蒸し暑さと異なって、葉陰が作る山道は涼風に充ちている。

ところどころに、中山道の旧道が残されている。
今はもう人が歩かない山道である。



ただ、樹木が生えていない事でそれと分かるのである。
草の道である。

まるで「けもの道」のように見える。



一部、山の中に石畳が残されているけれど、基本は草の道となって残されているのである。



まさに、ここが中山道のグラス・ルーツである。



ここは和田峠にある「接待所」である。
人馬施行所があり、茅葺の家が復元されている。



敷地内に「馬頭観音」の石碑が建っていた。



立派な建屋である。

1820年に江戸日本橋の綿問屋中村有隣が千両を幕府に寄附し、その利息百両を折半してここ和田峠と碓氷峠に接待茶屋を設けたものである。

今でも、この場所にはこんこんと石清水が湧き出でている。
近隣の人や、この水の美味しさを知っている嗜好家がタンクに汲んでいる。



中山道は江戸の日本橋から草津宿まで。



草津宿で東海道に合流するのである。
江戸から草津までは129里あり、67箇所の宿場が置かれた。
現在の都府県では、東京都・埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県・滋賀県にあたる。

長野県内には「木曽路」が貫いている。
木曽路も中山道である。





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