中村草田男の句をもって、百日紅の本質を詠う句は嚆矢とする。
さるすべりラヂオのほかに声もなし 草田男
である。
誠にこの句を越える事は不可能に近い。
この百日紅は、2010年のこの時期にブログで紹介している。
二年前であるけれど、その解釈は変わっていない。
ぼくは進歩していないのである。
「生き物の喘ぐ昼なり百日紅」
ぼくが詠む百日紅である。
ところで、今日の雲も素晴らしかった。
真綿がプカリプカリと浮いていた。
午後遅くなって、雲の峰が湧きあがった。
だがしかし、今日の雲は綿菓子のようでもあり、心が少しだけホッとしたのである。
荒 野人
さるすべりラヂオのほかに声もなし 草田男
である。
誠にこの句を越える事は不可能に近い。
この百日紅は、2010年のこの時期にブログで紹介している。
二年前であるけれど、その解釈は変わっていない。
ぼくは進歩していないのである。
「生き物の喘ぐ昼なり百日紅」
ぼくが詠む百日紅である。
ところで、今日の雲も素晴らしかった。
真綿がプカリプカリと浮いていた。
午後遅くなって、雲の峰が湧きあがった。
だがしかし、今日の雲は綿菓子のようでもあり、心が少しだけホッとしたのである。
荒 野人