エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

芭蕉と殺生石

2012年08月25日 | ポエム
松尾芭蕉は「奥の細道」の道すがら那須高原の殺生石を訪ねている。
日光から黒羽、那須野へと足をのばし、那須野から蘆野の柳(西行の遊行柳)を経て白河の関へと至っている。







 野を横に馬引き向けよほととぎす
              芭 蕉






殺生石の場所で詠んだ俳句である。



ポカリと浮かんだ雲。
稜線を際立たせ、かつ鮮やかな山を網膜に映し出すのである。



ススキも風情が宜しいではないか。
高原の佇(たたず)まいである。

殺生石の手前に、いま千体地蔵が安置され風雨に淘汰され時間を刻んでいる。
以前は無かったものである。

無かったけれど、硫黄の匂いが満ちるこの場所には誰ともなく石を積んでいた。
その延長なのであろう。








「石を積む誰かと問えり秋の風」


「ススキの穂地蔵の思い風に揺れ」







こうして石を積む。
その延長として地蔵が置かれていったのに違いない。



石を積むのは、供養であり、自己の願望の発露ではある。







「祈りたる地蔵の肩に花ススキ」







新旧おり交ぜて、千体になろうとしている。
厳密に数える必要もない。
その心の在りどころこそが、この空間を祈りの場にしていくのであろう。



時間の風雨は人の心を徹底的に洗ってくれる。
そこに何かを托す。
自然の脅威に畏怖する。

人が作りだした祈りの場は、やがて森羅万象が差配する空間へと転化するのである。
悠久の時間に人は決して遊べない。
学ぶのである。



      荒 野人