エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ミモザの花

2010年02月10日 | 日記
今日の気温は20℃を越えたというのである。
この記録は20年ぶりだともいう。

なんとも、季節が生き急いでいる。

しかしながら明日からはまた三月の平均的気温に逆戻りするという。
自然が自然のままに過ぎて行っているのだろうか。

自然の摂理に自然が逆らっているかのようでもある。
ミモザの花がここまで膨らんできている。





        ミモザ


      ミモザの花が
      秘められた愛だと言うのなら
      きみはぼくの心の内なる花である
      二人が大切にしている
      秘め事は
      誰にも知られることなく
      歴史のかなたへと
      放擲(ほうてき)されるだろう

      その先にこそ
      誰に遠慮することのない
      空間が広がり
      一切のためらいもなく
      しなやかなきみを
      抱きしめ
      愛する

      しなやかなきみは
      たおやかに応えるのだ
      たおやかなきみの峰は
      ぼく以外の登攀者(とうはんしゃ)を迎え入れる事もなく
      凛(りん)として屹立(きつりつ)する
      神々しく
      ぼくの前に聳(そび)えたち

      やがて
      きみは神になるのだ

      ぼくは必ず
      ミモザの豊かな花の房を捧げ
      神にひざまづくだろう






ミモザの花言葉は「豊かな感受性」「感じやすい心」である。
ミモザアカシアは「秘密の愛」だ。

なんという繊細な心を言い当てた花言葉であろうか。

イギリスで、南フランスから輸入されるフサアカシアの切花を"mimosa"と呼んだ事からこの花の名前が決まった。

アカシアに属するのか、それともねむの花に属するのか、ぼくは知らないけれど早い春を知らせてくれるたわわな黄色が美しい花木である。

このミモザの傍に水仙が咲き、梅がほころんでいた。



水仙の白と黄色のコントラストが鮮やかである。



梅は香り立っていた。

明日からは寒いらしい。
御同輩、風邪など引かぬように自愛したいものではある。





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常夏(とこなつ)ということ

2010年02月09日 | 旅行
常夏という言葉がある。

かつては「ハワイ」がその代表格であった。
世界地図の太平洋には「ハワイ」しか描かれていないのか!と錯覚するほどハワイがメジャーであった。

いまは海外旅行が常態化していて、太平洋のエリアも広がった。
太平洋沿岸地域であるとか、タヒチであるとか太平洋の諸島などといったボキャブラリーが日本人の生活に入り込んできたのである。

世界は一段と広くなったのである。



バナナの出荷風景である。
青い段階で収穫してしまう。
輸送中の熟成させるのである。



実に見事に積み上げる。
このテクは素晴らしい。

まるで印刷物である。

常夏の風景はのんびりとしている。
時間もゆっくりゆっくり流れていく。

島の中に分け入って行くと、ふとした出会いもあって面白い。



バイクを二人乗りで山に上っていた現地の女性である。
お願いして写真を撮らせていただいた。

この後、スコールが来た。
山の中の集落で、交通事故現場と遭遇した。



道路わきの家までが壊わされていた。
タイヤが坊主の車が多いので、こうした事故が多いと予想できるのである。




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南国へのあこがれ

2010年02月09日 | 旅行
昨日も寒かった。
今日はこれから気温が上がって行くというのである。
そして4月上旬の気候になると天気予報は言っている。

季節の一進一退は、しかし考えてみれば楽しい。

空想は科学ではなく、現実にならなければいけないのだと思うのだけれど・・・。
なかなかそうはいかない!
お金と時間の問題でもある。

さて、気分は南国のパラダイス。
フィリピンの島・・・カガヤンである。



これは、ミンダナオ島の北部である。
ミンダナオ島のカガヤンにある空港に降り立とうとしている。

この一帯は、ゲリラの影響力はほとんど無く比較的安心である。

ここから島に渡るのである。



島に到着すると、荷物を持ってくれる子どもたちが殺到する。
小遣いが欲しいのである。
この写真はもう一段落したところである。



小さな子どもは、おこぼれ待ちである。
喧騒が鎮まるのを待っている。
両手を頭に載せて待っている。



ぼくたちが泊った島のホテルである。
閑静な林の中にあった。

夜、人が寝静まった頃「チッチッ!」とヤモリが鳴いていた。
きっと部屋のどこかに居るのだろうと思う。



翌日、山に向かった。
ブタやニワトリが椰子林に放し飼いされている。

小さなブタちゃんであった。
放し飼いなら、肉が美味いわけである。



島のレストランである。
ここは一応、海鮮料理となっている。

池の上に、桟敷(さじき)が設(しつら)えられている。
この池に泳ぐ魚を指定できるのである。

桟敷はバナナの葉っぱで葺(ふ)いてある。
風情があるのである。

島は素敵である。
パラダイスである。

日本の島がパラダイスであるのと同じだ。





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自然の摂理

2010年02月08日 | 日記
網走に流氷が接岸した。
ガリンコ号で流氷見物したのは、もう数年前の事である。

その頃は、一晩で流氷が動いた。
海岸全体に着岸したかと思うと、翌朝はもう無くなっていて、それがまた次に朝には着岸している。

自然の営みのダイナミズムに感動したものである。



氷は、深いマリンブルーの静寂の中で波に漂っている。
神秘的でさえあるのだ。

一方、冬季オリンピック開催地のバンクーバーでは暖冬で街中に雪が無い。
山から雪を運び、会場作りをしているのである。

大変な労力である。

自然の摂理を人為的に変えつつあるのだろうか。
自然が悲鳴を上げているのが聞こえる。



いまの東京の自然の樹である。

花が咲き、枯れ、そして葉を落とす。
また花が咲くのである。



そこここに、花が咲き始めている。
枯れ枝にすら花が付いているのである。
鮮やかな朱色である。



明日には、開くだろう。
誰に見せようとしているのだろうか。

可憐である。



鉢植えでは、春色が姿を見せているのである。
春は様々な色が複合的に現れるのだ。

自然の摂理とは、何のことは無い。
ただ生き物が、ありのままに生きる姿の中にこそ見出すことが出来るのである。
明日は今日よりも10度近くも温度が上がるという。

季節のせめぎ合いが始まっている。
春の足音が聞こえ始めているのだ。




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烏鎮(うちん)~古い水郷の街を行く

2010年02月08日 | 旅行
烏鎮・・・1300年を超える古い水郷の街である。
街を東西に割って運河が通っている。
鎮とは中国で小さな街の意味である。

上海からおよそ2時間の旅程だ。



春秋時代からこの地区は呉、越、疆三国の境に位置していたため、争いが絶えなかったのである。
そのため呉は兵をこの地に駐屯させ、越との防衛線に利用したところから烏戍という地名がついたと言われている。

烏鎮の歴史である。



街を貫く運河である。
生活感がみなぎっているけれど、生活用水が運河に直接流れ込んでいる。
環境問題の原点に出会える街でもある。



流れる水は、お世辞にも綺麗とは言えないのである。



舟から垣間見える路地は魅力に溢れている。
歩いてみたい!
そんな衝動にかられてしまった。



石畳が古い街の情緒を醸(かも)し出している。
人一人いないたたずまいは、物悲しい。



舟着場である。
何艘ももやってある。
観光客が少ない昼下がりである。

黒い屋根瓦、漆喰(しっくい)の白い壁。
水郷の雰囲気は最高である。



ここも舟着場である。
右側の建物は、土産物売り場と食堂となっていた。

クリークには柳が良く似合うのである。




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