エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

水と生きるのは何故か?

2010年02月14日 | 旅行
水と生きる人々は、世界中に存在する。
山国にだって水と生きる世界が存在するのである。

水は清浄の原点に必ず登場する。

雑念をすべて洗いながす、神が与えてくれた水である。
もっとも、ぼくは神の存在を信じてはいない。

人々は海を渡り、河を越えた。




             水と生きる


       水がたゆたう
       と光が
       煌(きらめ)く

       水がゆらめく
       のだ
       水はあなたを
       洗いながし
       ぼくだけの
       あなたになっていく

       ぼくは
       水と生きたい
       と思う

       いつも
       あなたを
       洗いながしたいのだ

       しがらみとか
       あなたにしみついた
       あなたの甘い汗を
       洗いながしたいのである





そして人々は、川沿いに住まいを定めたのである。



           水のある風景



       水のある風景は、ぼくの母の胎内である

       水の中でぼくは再び母の胎内で揺籃(ようらん)する感覚に捉(とら)われる
       羊水の暖かさは、母の暖かさなのである






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水郷を行く・・・水と暮らし、遊ぶ

2010年02月13日 | 旅行
水郷の風景を何回か紹介したけれど、古さが新しさになっている佇まいはやはり堅牢な三次元の物体と四次元の概念が不可欠であると実感するのである。

曰く、石畳・・・。
曰く、木造の堅牢な家々・・・。
曰く、人々の生活環境への揺るぎない慈しみ・・・。
曰く、邑(むら)の人間関係の堅牢性・・・。
曰く、古い物が貴重だとする価値観の堅牢さ・・・。



生活感が横溢(おういつ)している。
櫓(ろ)をこぐお父さんが、なんとなく覗いている雰囲気があって好きな一枚である。
使い込んだ櫓と、船体。

船体が黒光りしている。



高床で川面(かわも)に張り出している屋根の下である。
川面を渡る微風が夏も涼しいのだ。



漆喰(しっくい)の白が川面に映える。
屋根瓦の黒とのコントラストが川面に映えて美しい。
壁の板がくすんでいて風雨に耐えるのである。

この板塀はおそらく、火で炙(あぶ)り軽く削っている。
そうすることで、板が強くなり虫食いにも強くなるのである。
かつて日本だってそうした板塀が街中にあったものだ。



観光客であろう、若い女性の嬌声が川面を渡って行った。



間もなく、あの舟がこの船着場に到着する。
水郷の水と遊ぶのは楽しいのである。






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海の黄昏

2010年02月12日 | 旅行
黄昏である。





              海の黄昏


            海に金色の黄昏(こうこん)が迫る
            人々は畏怖(いふ)する
            畏(おそ)れは
            美しい進歩の道標(みちしるべ)である

            巨大な恐怖が
            邪(よこし)まな海底に引きずり込まれた

            人が野望に満ちたとき
            海は金色に染まる
            人魚に横恋慕する
            ああ
            ジークフリートよ
            汝
            ジークフリートよ

            人魚の豊かな胸に
            人は連想する
            母なる海のうねりと奥深さの
            その調和の妙に

            黄昏は漆黒の闇の序曲であって
            その金色のステージは
            眼を凝らす人だけに
            闇の色を知らしめる
            闇の色は
            人に見えない神の色であるのか
            ジークフリートよ
            人魚よ
            豊胸の女神よ
            あまねくひろく
            黄昏を知らしめ給え





この日の夜、朱色の花の上に月がかかった。
黄昏に吠える!



あと数日で満月になろう。
ぼくの心はしかし乱れなかった。




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グアムのカマキリ

2010年02月12日 | 旅行
抜けるような快晴のグアムである。



朱色である。
この空の下で、COKEを飲んでいた。

テーブルに小さな生き物が蠢(うごめ)いている。



まるでイグアナのような姿で歩いていたのである。
そして彼は、ぼくのCOKEのキャップに登ってきた。



面白い奴である。
子どもなのであろうか?
それともこれで大人の種なのだろうか?

彼は元気一杯でテーブルを離れて行った。

ちなみに、ここのホット・ドッグは美味いのである。



町中で小さな命の炎を発見することは楽しい。



この日、プール・サイドにある「人魚」が海に還る様な錯覚を覚えたのであった。
人魚は髪を梳(と)いている。

髪を結び、もうすぐ海にダイブしようとする準備なのである。
美しい人魚である。
人魚のモニュメントにだって命が吹き込まれる。

生きとし生けるもの、森羅万象・・・。
命は尊とい。

例え、それがどんな小さな生き物であっても、である。





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外は氷雨・・・!

2010年02月11日 | 日記
外は氷雨である。
明日は、雨模様で推移していくようである。

で・・・今日はハワイを日記にしてみようと思っている。
前日、誰もが南国をハワイと認識していた時代を懐かしんだ。



フラダンスは気分を改めて、洗ってくれる。
敬虔な踊りである。

寒い日には、暖かい常夏を連想するに限るのである。



フラの踊り手は、豊満な女性に限る。
その身体と仕草を神に見せるのである。

豊かで見栄えする女性こそ、神に選ばれし踊り手である。

海の中で、海亀が実に雄々しく見えるのは、その丸い身体によるものである。



この海亀と目が合ったとしたら、あなたは今日一日幸せである。



グラス・ボートがいっぱい海に出ている。
海の中を覗くのである。

美しいハワイの海をあなたに捧げよう。





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