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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

夕焼け雲に誘われて

2012年05月12日 | ポエム
不安定な気象環境だったけれど、巨大な雨雲が過ぎ去った東京の夕焼けは綺麗だった。
重厚な夕焼けであった。



メタセコイアのシルエットが塔の様に見える。
まるで仏教塔のようである。
高僧の墳墓塔でもある。



光線が天井に向かって駆け昇っている。
まるで笙を奏でているかのようだ。



初夏の夕焼けは荘厳な響きを以って迫ってくる。







  新たなる雨後の囁き緑さす  野人


  緑さす聴けとばかりの雷神かな  野人




「緑さす」が夏の季語である。



午後の早い時間に雨が上がって、その空は明るかった。








  緑さす雨後の色気の艶やかな  野人






緑がより鮮やかになって、心に沁みたのである。
いや、心眼に沁みたのかもしれない。



これは雨が来る前の午前中の空き地。
月見草が咲いている。

あの太宰治が富士に良く似合う!
と言った、月見草である。

ぼくの街では、うらぶれて見える。
花が枯れた時、色が凍みたようになってしまうからだろうか?

美しく枯れる、否・・・美しく老いて往きたいものである。





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      荒 野人

最後のタケノコ

2012年05月11日 | ポエム
たかんな・・・タケノコの別称である。
まだタケノコが頭を出していない頃、詠んだ俳句の一つ。






  ほども無くたかんなの季になりにけり  野人






春の目覚めを待つ頃の句である。
竹の季節は鋭く、爽やかである。

過日、タケノコを掘って来たとお話をした。
かなり頑張って掘ったので、ここまでタケノコを堪能したのであった。

けれど、とうとう食い尽くしてしまった。
最後のタケノコ料理は「タケノコ・スパゲッティ」である。



これである。
この一皿にGABANのパセリを振りかける。



誠に結構である。
タケノコのえぐ味が際立ってくるのである。

今年はタケノコの季節が終わってしまった。
これからは、初夏の涼しげな饅頭である。

葛桜のもっちりした食感。
水羊羹の涼味。




  葛桜あわあわ食める甘味かな  野人




和菓子の季節である。
春の練切の和菓子は芸術的でさえある。
夏の和菓子は、葛や寒天の素材を生かすのである。

水のようにサラサラとした味わいが待ち遠しい。





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      荒 野人

林檎の花

2012年05月10日 | ポエム
  りんごのふるさとは
   北国の果て
    晴れた日は 晴れた日は

美空ひばりが歌う「津軽のふるさと」の歌い出しである。
この歌詞を聞くたびに、僕の涙腺は緩みっ放しになる。

この際だ!
と思いYou Tubeにアップされた数人の歌手で聴いてみた。
天童よしみ、キム・ヨンジャ、松山千春、塩田美奈子、としみ、新二郎達である。

だがしかし、美空ひばりの歌声と歌唱力に勝る歌い手はいなかった。




りんごのふるさとは
北国の果て


素晴らしい詩であり、歌い出しである。

しかも、このフレーズは繰り返し繰り返し歌われる。
そして聞く者を津軽の厳しい自然へと誘うのである。

過日頂いたタラの芽は、その津軽の物である。
このフレーズを想起しつつ美味しく頂いたのであった。



この林檎の花は、津軽ではないけれど関東の山峡に咲いていたのである。



   ああ 津軽の
    海よ山よ



美空ひばりの、あの確固とした音程と豊かなクリエイト能力が成せる、津軽という故郷への臨場感が迫って来るのである。
しかも、その故郷が津軽に留まらず普遍的な故郷として想起されてしまう歌唱力の凄さが、いま頭の中を駆け巡っているのである。








  リンゴ咲き山あいの村彩りぬ  野人


  淡き白りんごの花や風そよぐ  野人








リンゴの花は、春の季語である。

ぼくの俳句など、美空ひばりの表現力、歌唱力には吹き飛ばされてしまう。
だが、めげず詠おうと思う。



一昨日、同じ句会で研鑽を重ねて来た句友からの消息があった。
立花さんがその誘い水を注いで下さったのであるけれど・・・。
お元気の様子が伺われて嬉しかったのであった。

林檎の花から、色々と連想が跳んでしまった。
それが嬉しい。



まだまだ感性の水分は失われていないようであるからだ。





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      荒 野人

吹割の滝に慄く

2012年05月09日 | ポエム
昨日の午後、タケノコ三昧をアップした。
その時、蕗を頂いたと書いたのであるけれど、今朝の食事には、早速蕗料理が加わった。



蕗の柔らか煮である。
薄味で、春の香りがその独特のえぐみとともに口中に充満した。



蕗の葉の佃煮である。
えぐみは薄まり、香りが際立っている。
食事が進んだのであった。



さて・・・。
この坂道を下りていくと、川に出るのである。



先日まで降り続いた雨のせいでもあろう。
吹割の滝の水量はもの凄く、まるで足元を掬われるような感覚を覚えつつ、側道を歩いたのであった。



側道の一部は、川に洗われ泥が溜まっている。
滑ってしまったらアウト!



そんな感覚でこの文章を読み進んでほしい。
駐車した食堂のおばさんたちも「かつて無いほどの水量よ!」と太鼓判を押してくれたのであるから、押して知るべしなのである。



水が急激に落ちる場所では水煙が立ち上り、オゾンが構成される。
心身が洗れる感覚を覚えるのである。



ここ沼田では、例えば「老神温泉」があって湯治には最適な山峡である。
かてて加えて、八重桜が満開の呈である。

山の深さと、寒さが思われてならない。
そんな気配が漂いつつ、かつぼくを引きずり込んでいくのであった。







  谷からの轟く音や夏来る  野人


  流れ来る夏の匂いや深き谷  野人


  汝の視線誰を見つめる夏の峪  野人







今日は、渓谷を詠んだ。
夏が立ち、もうすぐ涼を求める観光客が殺到する場所である。






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      荒 野人

タケノコ三昧

2012年05月08日 | グルメ
タケノコを掘って来た。
ここ三日間は「タケノコ三昧」である。

春を惜しみつつ、柔らかく甘いタケノコを頂いているのである。
西側の斜面、従って水はけは良いし、陽はサンサンとは降り注いでいない。
だがしかし、適度に陽は当たっている。



柔らかいタケノコの条件が揃っている。








  春荀の斜面に生えし頭部かな  野人


  たけのこや湿った土を肩に掛け  野人


  噛みしめる春荀の先柔きかな  野人









タケノコのきんぴらである。



若竹煮である。
昆布がはがれてタケノコに張り付いている。



タケノコの塩麹焼きである。
塩麹に暫く漬けて、片栗粉をまぶし両面を軽く焼く。
これが美味いのである。



タケノコの天ぷら。



極めつけはタケノコご飯である。
シンプルに頂くのが宜しい。

三昧の料理は、これに「タケノコの味噌汁」を付けたのである。

そうしたら、今日は頂きものがあった。
たらの芽と蕗である。



たらの芽は、青森県の自生する天然物。
早速天ぷらにしなければいけない!



蕗は頂いたお宅の庭に生えているもの。
その太さは適当で美味しそうである。
これまた早速、きゃらぶきにするのである。

夏が立ったというのに、我が家は春の味覚に恵まれているこのごろである。
春の味覚ほろ苦さが際立ってくるのである。

夕飯には、天ぷらが付け加わった。



たらの芽の天ぷら。



いけるのである。
オオバの天ぷらも一緒に揚げた。



磯辺揚げも美味い。
それに・・・。



茗荷を刻み、鰹節を載せ醤油を回しかける。
これだけでもご飯を頂ける美味さである。

ご馳走様。

そうそう、頂いた蕗とその葉の下拵えが終わった。



蕗は薄味で煮びたしにする。



葉は灰汁が強いので、濃い味で佃煮にする。
明日は食べられるぞ!!




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      荒 野人