10日間アートチャレンジ vol.8」
「天地人」
~
自分が危険を冒してまで向かったパキスタンの目的地、
それはヒマラヤの六千、七千メートル級の山々に囲まれた谷「フンザ」。
春に訪れれば杏の花が咲き乱れ、そこはまるでこの世の桃源郷とも、
ナウシカの風の谷の舞台ともいわれている地だ。
昔旅先で出会った人からその谷の存在を聞いた私は、10年以上もの時間憧れを持ち続け、
ようやくフンザへの旅程を立てることができた。
首都イスラマバードから未舗装道路を含め30時間くらいの過酷なバス旅を経ての到着。
が、例年より寒冷だったために杏の花の満開には数日早かったのだが。。。まぁこれも旅です。
写真はその谷で撮影した一枚。
少女が真剣な顔で杏の花に手を伸ばし、よく見れば足元には石ころまで積んでいて
「あともう少し」って思わず言ってしまったかもしれない。
実は被写体を見つけてから撮影までほんの数秒の猶予しかなく、
私の写真歴の中でも最速のクイックモーションを求めれたと記憶している。
マニュアルカメラの露出とフォーカス、フレーミングを合わせながら、
最適な瞬間にシャッターを押す、「そう、彼女の手が伸び切った瞬間」だ。
手応えはあったものの、フィルムカメラゆえその成否が判明したのは帰国後に現像してからであったが。
「天地人」
とはそもそもの意味やいろいろな例えがあるだろうが、
私は自己流に写真撮影にあてはめ、
好きな写真が撮れたときはいつも「天地人が合わさったな」なんて思っている。
「地」は、例えばきれいな風景や趣のある街並みなど撮影スポットであるが、実はその場にいるにはそこへ赴く意思が必要であり、
さもなくば写真を撮ることはできず、当たり前のようだが現場性という写真にとって最も大切な要素だと思っている。
そのうえで、私は風景だけの写真よりは何かしら人が映っている画が好きなので、
「人」は、まさしく人。しかもその風景やシーンにはまるお爺さんだったり子供だったりが、
どこからかともなく現れてくれることが多かったので自分はとてもラッキーだった。
そして「天」は光の具合を含めそれらが融合する一瞬のタイミングではないかと解釈し、
その結晶が一枚の写真としてフィルムに焼き付けられている。
なんて言ったらちょっとかっこつけすぎで笑われるかもしれない💦
でも現代では4K?8K?の動画を回し続け、あとからお気に入りの静止画を切り出せばそれで事足りる時代のようであるから、
まったくもって過去のロマンチシズムであろうと自覚しているのでお許しいただきたい。
~
「天地人」
~
自分が危険を冒してまで向かったパキスタンの目的地、
それはヒマラヤの六千、七千メートル級の山々に囲まれた谷「フンザ」。
春に訪れれば杏の花が咲き乱れ、そこはまるでこの世の桃源郷とも、
ナウシカの風の谷の舞台ともいわれている地だ。
昔旅先で出会った人からその谷の存在を聞いた私は、10年以上もの時間憧れを持ち続け、
ようやくフンザへの旅程を立てることができた。
首都イスラマバードから未舗装道路を含め30時間くらいの過酷なバス旅を経ての到着。
が、例年より寒冷だったために杏の花の満開には数日早かったのだが。。。まぁこれも旅です。
写真はその谷で撮影した一枚。
少女が真剣な顔で杏の花に手を伸ばし、よく見れば足元には石ころまで積んでいて
「あともう少し」って思わず言ってしまったかもしれない。
実は被写体を見つけてから撮影までほんの数秒の猶予しかなく、
私の写真歴の中でも最速のクイックモーションを求めれたと記憶している。
マニュアルカメラの露出とフォーカス、フレーミングを合わせながら、
最適な瞬間にシャッターを押す、「そう、彼女の手が伸び切った瞬間」だ。
手応えはあったものの、フィルムカメラゆえその成否が判明したのは帰国後に現像してからであったが。
「天地人」
とはそもそもの意味やいろいろな例えがあるだろうが、
私は自己流に写真撮影にあてはめ、
好きな写真が撮れたときはいつも「天地人が合わさったな」なんて思っている。
「地」は、例えばきれいな風景や趣のある街並みなど撮影スポットであるが、実はその場にいるにはそこへ赴く意思が必要であり、
さもなくば写真を撮ることはできず、当たり前のようだが現場性という写真にとって最も大切な要素だと思っている。
そのうえで、私は風景だけの写真よりは何かしら人が映っている画が好きなので、
「人」は、まさしく人。しかもその風景やシーンにはまるお爺さんだったり子供だったりが、
どこからかともなく現れてくれることが多かったので自分はとてもラッキーだった。
そして「天」は光の具合を含めそれらが融合する一瞬のタイミングではないかと解釈し、
その結晶が一枚の写真としてフィルムに焼き付けられている。
なんて言ったらちょっとかっこつけすぎで笑われるかもしれない💦
でも現代では4K?8K?の動画を回し続け、あとからお気に入りの静止画を切り出せばそれで事足りる時代のようであるから、
まったくもって過去のロマンチシズムであろうと自覚しているのでお許しいただきたい。
~
洋ナシ一号。この後も現在も洋ナシ型を製作していますが、この一枚自分の中の理想形かも。でも毎回フリーハンドなので同じようで同じにならないところがまたいいのかも。
カッティングボード専賣店
Daughter&Son
https://daughterson.handcrafted.jp/
カッティングボード専賣店
Daughter&Son
https://daughterson.handcrafted.jp/
「10日間アートチャレンジ vol.7」
いざパキスタンへ「誤算の先入観」
~
2009年当時の話だが、連日の自爆テロの報道により私は入国する前からガッチガチ。
少しでも西側諸国の人間と思われてはいけないと、
目的地に着くまでは、できるだけ人と関わらない、会話しないとだんまりを決めこんでいた。
でもどうしたって腹はすく、飯は食べないといけないから街の市場に出てみる。
すると私は感じた。そして街の人との何度かのやりとりから「この人たちすげー親切」ということをほどなく理解した。
先入観というものがいかに無用でいい加減なことかということを知る。
ただ一方でイスラマバード滞在中私がチェックアウトしたホテルから数百メートルのところでも自爆テロが発生していることもまた事実。
旅の途中のドライブイン、トラックで移動する家族を見かけた。
遠くを見つめる弟の視線はなんだか大人っぽく、
そして私を見つめる姉の視線は刺すようにするどい。
先入観は無用だが「この国には拭い難い厳しい現実がある」ということも忘れてはならないと思った。
いざパキスタンへ「誤算の先入観」
~
2009年当時の話だが、連日の自爆テロの報道により私は入国する前からガッチガチ。
少しでも西側諸国の人間と思われてはいけないと、
目的地に着くまでは、できるだけ人と関わらない、会話しないとだんまりを決めこんでいた。
でもどうしたって腹はすく、飯は食べないといけないから街の市場に出てみる。
すると私は感じた。そして街の人との何度かのやりとりから「この人たちすげー親切」ということをほどなく理解した。
先入観というものがいかに無用でいい加減なことかということを知る。
ただ一方でイスラマバード滞在中私がチェックアウトしたホテルから数百メートルのところでも自爆テロが発生していることもまた事実。
旅の途中のドライブイン、トラックで移動する家族を見かけた。
遠くを見つめる弟の視線はなんだか大人っぽく、
そして私を見つめる姉の視線は刺すようにするどい。
先入観は無用だが「この国には拭い難い厳しい現実がある」ということも忘れてはならないと思った。
「10日間アートチャレンジ vol.6」
中国からお隣のモンゴルへ。題して「広い庭」
~
パオから出れば、そこは大草原。
塀や門なんてものはない
見渡す限りがその家の庭といってもいい。
でも遊牧の民の彼らには、
そもそも「自分の」「わたしの」なんていう偏狭な考えは持ち合わせていないに違いない。
大草原にポツン
空と地平線以外に見えるものはなく、
買い物や名所めぐりのスポットもない。
やるべきことも特になく、
ただひたすら自分の時間だけがある。
「草原以外なにもない」ということを目的に向かった旅だったが、
ある意味自分が試されることに。
恥ずかしい話、早くも半日くらいでギブアップした私だが、
「精神と時の部屋」へ迎えの車が来たのは二日後のこと。
少しは鍛えられたかもしれない。
~
中国からお隣のモンゴルへ。題して「広い庭」
~
パオから出れば、そこは大草原。
塀や門なんてものはない
見渡す限りがその家の庭といってもいい。
でも遊牧の民の彼らには、
そもそも「自分の」「わたしの」なんていう偏狭な考えは持ち合わせていないに違いない。
大草原にポツン
空と地平線以外に見えるものはなく、
買い物や名所めぐりのスポットもない。
やるべきことも特になく、
ただひたすら自分の時間だけがある。
「草原以外なにもない」ということを目的に向かった旅だったが、
ある意味自分が試されることに。
恥ずかしい話、早くも半日くらいでギブアップした私だが、
「精神と時の部屋」へ迎えの車が来たのは二日後のこと。
少しは鍛えられたかもしれない。
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