自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆マエストロ岩城の視線

2005年06月10日 | ⇒ランダム書評
  バス通勤の行き帰りに、文庫本「オーケストラの職人たち」(文春文庫・ことし2月第1刷)を読んでいる。実はこの本、著者の岩城宏之さんからいただいたものだ。ことし1月に会社を辞した際、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の事務局の方が、「岩城さんからのプレゼントです」とわざわざ届けたくれた。「暇になるだろうから本でも読んで」という岩城さんの心遣いはありがたかったが、その後の身内の不幸や再就職でそれどころではなかった。最近部屋の整理をしていて、思い出して読み始めたのだ。退社から5ヵ月余り、心のゆとりが少し出来たということかもしれない。

  文庫本はことし2月だが、内容自体は98年から01年にかけて「週刊金曜日」に掲載されたものだ。オーケストラというプロ集団の群像を描いた本ではない。オーケストラを支える「裏方」を描いている。私自身も裏方だった。テレビで放送する毎年4本の「OEKアワー」の番組プロデューサーなどを通算10年間させてもらった。モーツアルト全集・25回シリーズ(東京・朝日新聞浜離宮ホール)、中村紘子・ルービンシュタイン・コンサート(東京・サントリーホール)などざっと40本に上る。このほとんどが岩城さんの指揮だった。「岩城さん」と書くのも、実は岩城さんからしかられたからである。初めてお会いしたとき、「岩城先生、よろしくお願いします」とあいさつすると、ムッとした表情で「ボクはセンセイではありません。指揮者です」と。そう言えば周囲は「先生」とは呼んでいない、「岩城さん」か「マエストロ」と。初対面で一発かまされたのである。

  岩城さんが「裏方」に注ぐ目線は温かい。岩城さんはハープの運送会社「田中陸運」(東京)のアルバイトを自ら経験し、裏方の職人技はこうだと描いている。威張ったり、権威ぶったりしない人なのだ。先の「岩城さん」のエピソードも実はそんな人柄がにじ出た話であって、これを「気難しい」と誤解する人も多い。本では能登出身の元N響ステージマネージャー延命千之助さんや、演奏旅行のドクターである川北篤さん(金沢市)、写譜名人の賀川純基さんらオーケストラとかかわる多彩な顔ぶれを紹介している。

   岩城さん自身が書いているように、小さいとき音感教育を受けなかったので「耳にまったく自身がなかった」「多くの指揮者たちに、すごく劣等感を持っていた」。その分、徹底した現場主義を通した。その岩城さんが昨年の大晦日にベートーベンの交響曲1番から9番を一晩で振り、クラシック界の話題をさらった。私は、262本のヒットを放ち84年ぶりにアメリカ大リーグの年間最多安打記録を更新したイチロー選手に匹敵する「偉業」ではないかと思っている。その時、イチロー選手を「野球小僧」と称した人がいた。それに倣えば、岩城さんは「音楽小僧」だ。72歳の今でも挑戦を続けて止むことがない。

⇒10日(金)午前・金沢の天気 晴れ
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