農産物の直売場がちょっとした人気だ。市場を通した店舗販売より安価で、生産地が近いという安心感も、受けている理由の一つなのだろう。金沢市北部にも、JAが運営する直売場=写真=が来月(8月)にオープンする。ただ、その建築物を見ていて、違和感を感じるのは鉄骨製の金属張り、木がまったく使われていないのだ。山と緑をバックにしながら、まず風景的に違和感を感じる。施工者の発想の中で「農と林の関係性」が切れているのではないかと直感した。
農と林は本来一体である。かつて、野菜を耕す土壌は落ち葉を堆肥化してきたし、人々は農と林の仕事の組み合わせで里山の生業(なりわい)を立ててきた。ところが、農は化学肥料に依存し、外材の輸入による価格低迷で林の仕事はコスト的に見合わなくなった。1960年代からの高度成長期を経て、その有り様が鮮明になり、農と林の関係性はまったく別ものになってしまった。
同じことが陸と海、つまり里山(農山村)と里海(漁村)でも言え、その関係性が切れている。古くから漁村では、魚は森に養われているという意味で「魚付林(うおつきりん)」と呼び、森を大切に保全してきた。里山と里海は個別に考えられがちだが、川を通じてつながっており、「自然のネットワーク」がかたちづくられている。この自然のネットワークの仕組みを解き明かすキーワードは「物質循環」である。栄養塩で言い表される、陸と海が一体となった食物連鎖であり、海の生態系と陸の生態系とのつながりを示す言葉である。魚付林はそのような自然のネットワークを守る人間のネットワークのことだった。
さらに、人と自然の関係性も切れつつある。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰ると考える。物質循環から自然のネットワークの仕組みをもっと分かりやすく解明すれば、おのずとお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの認識を科学が教えてくれる。これを公共の理念として再構築できないだろうか。いわば、今風の「魚付林の再生」である。人や組織が有機的に結びつくことで、市場では得られない価値、それを「関係価値」と呼んでおこう。従来の物質的な豊かさや利便性だけを追求する価値観とは異なり、環境を理念とする関係価値という新たな公共の概念となるのではないか。
話は前段に戻る。鉄骨製の金属張りの農産物の直売場はおそらく、コスト性を追求した結果だろう。そのために犠牲になったもの、それは周辺を含めた景観であり、農と林の総合的な直売という発想だろう。農だけで品揃えができるのだろうか。林から提供できる商品も多々ある。冬場は何を売るのだろうか。農と林という着想があれば、外観で木材を使おうといった設計になり、周囲に溶け込んだものになっただろう。
人と自然、農と林、里山と里海、下流域と上流域、さまざまな関係価値を失って、荒涼として殺風景な世界が広がっている。それが今の日本だ。おめでたい開店を前に、ある直売場の建設現場から見えた心象風景を吐露した。
⇒22日(木)夜・金沢の天気 はれ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f6/9e9c869aa6b9bbcf0874121ce53b8a97.jpg)
同じことが陸と海、つまり里山(農山村)と里海(漁村)でも言え、その関係性が切れている。古くから漁村では、魚は森に養われているという意味で「魚付林(うおつきりん)」と呼び、森を大切に保全してきた。里山と里海は個別に考えられがちだが、川を通じてつながっており、「自然のネットワーク」がかたちづくられている。この自然のネットワークの仕組みを解き明かすキーワードは「物質循環」である。栄養塩で言い表される、陸と海が一体となった食物連鎖であり、海の生態系と陸の生態系とのつながりを示す言葉である。魚付林はそのような自然のネットワークを守る人間のネットワークのことだった。
さらに、人と自然の関係性も切れつつある。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰ると考える。物質循環から自然のネットワークの仕組みをもっと分かりやすく解明すれば、おのずとお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの認識を科学が教えてくれる。これを公共の理念として再構築できないだろうか。いわば、今風の「魚付林の再生」である。人や組織が有機的に結びつくことで、市場では得られない価値、それを「関係価値」と呼んでおこう。従来の物質的な豊かさや利便性だけを追求する価値観とは異なり、環境を理念とする関係価値という新たな公共の概念となるのではないか。
話は前段に戻る。鉄骨製の金属張りの農産物の直売場はおそらく、コスト性を追求した結果だろう。そのために犠牲になったもの、それは周辺を含めた景観であり、農と林の総合的な直売という発想だろう。農だけで品揃えができるのだろうか。林から提供できる商品も多々ある。冬場は何を売るのだろうか。農と林という着想があれば、外観で木材を使おうといった設計になり、周囲に溶け込んだものになっただろう。
人と自然、農と林、里山と里海、下流域と上流域、さまざまな関係価値を失って、荒涼として殺風景な世界が広がっている。それが今の日本だ。おめでたい開店を前に、ある直売場の建設現場から見えた心象風景を吐露した。
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