自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆木島平の里山から‐中

2013年08月11日 | ⇒トピック往来

  平成の大合併で全国で568あった農山村が184に減った。村は「自治の主体」から「中心市街地の周辺部」へと、その存在価値を落としてしまった。その時期と並行して、都市では「疲労」が見え始めた。都市では物が買われ消費される。商品が都市に人々を惹きつける魅力となる。その仕組みである、物流のシステム、物を交換する交易のシステム、欲望を刺激するシステム、労働のシステムなど複雑な社会の構造が出来上がった。が、制度疲労が出始め、「ブラック企業」と呼ばれる搾取企業、「無縁」と称される社会的な孤立、欲望の犯罪化などが都市生活者の不安を煽る。そして若い学生たちもの微妙にその都市の不安な空気を読んでいる。

     「3度の食事も自ら賄う」 学生が農村というフィールドで学ぶこと

  木島平村では「農民芸術」を目指す人々がいる。地域に残る民話を発掘してそれを朗読する「語り部」の運動だ。テレビ番組「まんが日本昔話」の語り部として知られる俳優・常田富士男はこの村の生まれ。平成16年(2004)に「ふう太の杜の郷(さと)の家」という古民家を利用した活動の場ができ、常田を代表として「木島平の昔話」の語りなど活動の輪が広がっている。

 8日午後3時ごろ、「ふう太の杜の郷の家」=写真・上=に入った。さっそく参加学生のうち東京芸大、国立音大の学生ら4人によるトロンボーンやユーフォニアム、チューバを用いたミニコンサート。「故郷(ふるさと)」(北信州で生まれた高野辰之が作曲)など。続いて、参加学生が昔話の朗読をぶっつけ本番で。テーマは「高社(たかやしろ)山と斑尾山の背比べ」。このとき、ちょっとしたハプニングがあった。

 語りはこうだ。高社山と斑尾山は隣同士で仲が良かった。ふとしたことから「高社山と斑尾山はどちらが高いか」という話題になり、両方とも普段は温厚な山がその日は激しい言い争いになった。斑尾山が「高さを測る良い方法はないか」と高社山に尋ねた。高社山は「樋(とい)をかけて水を流したらどうか」といった。水は低いほうに流れるから勝負がつく。高社山と斑尾山は、それぞれの頂上に樋の端を置き、水を流した。すると、水は高社山の方へどんどん流れていった。高社山は悔しがり、肩を火を噴いて、樋を真ん中で叩き割ってしまった。話がクライマックスになったその時、午後4時56分、会場の参加者の携帯電話が一斉にギュー、ギュー、ギューと鳴り出した。鈍い感じのアラーム音、緊急地震速報だった。一時会場は騒然としたが、揺れものなく、語りは続けられた。「樋を割って、そのときこぼれ落ちた水が、千曲川になったんだとさ」。後で誤報と分かったが、話のクライマックスとアラーム音の絶妙なタイミングが会場の気分を盛り上げた。

  農村文明塾の 「農村版コンソーシアム」プログラムは、今回は学生を対象にしている。首都圏などから学生が集まって、集落をフィールドに、日本文化のルーツともいえる「農村」を学び、体験を通して「生き方」を探る場としている。したがって、「お客さん」扱いをしない。学生たちが農村に入って、村人と交わって、感じ取るのだ。井原満明事務局長は「学生たちに農村調査を求めているのではない。『share your secrets』の自ら気づきを促し、それを参加者と分かち合うのです。気づき、発することで人は生きる感性を磨くのです」と話す。

  ふう太の杜の郷の家での夕食は、村のお母さんたちに交じって学生たちが料理、配膳、ご飯炊きを行った。「3度の食事は自ら賄う」も農村文明塾の方針。ここでは薪割りをする、その後にかまどでご飯を炊く。そして皆で合掌してから、食をいただく=写真・下=。こう説明すると、一見して修行僧のようで、堅苦しくも思えるが、つくる方は話が弾み、食も進む。朱塗り膳の後片付け、食器洗いを終え、宿泊研修施設の「農村交流館」へ。駐車場まで歩く。森林の暗闇は静寂そのもの。夜8時をまわっていた。  

⇒11日(日)金沢の天気   はれ  

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