自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★木島平の里山から‐上

2013年08月10日 | ⇒トピック往来
  長野県の北部、「北信州」と呼ばれる地域は古くから農林業が営まれてきた日本の里山である。地形が盆地になっていて、山あいの小さな棚田から平野の広い水田まで見渡せる。「兎追いしかの山」「こぶな釣りしかの川」で有名な歌「故郷(ふるさと)」を作詞した高野辰之が生まれ育ったところだ。北信州の真ん中あたり木島平村(きじまだいらむら・人口4700人)がある。昨年秋、木島平を舞台にした小説が出版された。

        「農村文明」の村へとかき立てる「和算のDNA」

 警察小説の『ストロベリーナイト』で知られる作家、誉田哲也の『幸せの条件』(中央公論新社)だ。理化学実験ガラス機器専門メーカーで働く経理担当の24歳OLが、バイオエタノール精製装置の試作で休耕田でバイオエタノール用の安価なコメを提供してくれる農家を探せと、長野県に出張を命じられることから物語が始まる。先々で「コメは食うために作るもんだ。燃やすために作れるか」と門前払いされながらも、農業法人で働くことになる。米作りを一から学ぶことになり、そして農村の中で、「人として本来すべきことを、愚直にやり通す強さ。そのあたたかさ。よそ者でも受け入れ、食事を出す。他人の子でも預かり、面倒を見る。損得ではない、もっと大切な何か。利害よりも優先されるべき、もっと大きな価値観」を見出していく。

 大震災、原発事故、停電、都市機能のマヒなど現実に「いまそこにある危機」が日本、そして世界の都市を覆う。しかし、 収穫したコメを見れば、人は何が起きても生きていけると「自給自足=生存」本能に目覚める。それが「いまそこにある幸せ」ではないか。農作業を通じて「幸せ」を実感する、そんなストーリーだ。

 小説の農村・木島平で、「幸せ」の実感を共有しようという村の事業「農村文明塾」がある。このプロジェクトは「農村文明」の4文字を掲げ、平成21年(2009)に旗揚げした。「農村文明」は稲作を中心に森と水の循環系を守りつつ、自然と共生して農耕生活を行う中で営々と築いてきた歴史、文化、教育な価値、さらに地域で支え合う自治機能といった価値と言えるかもしれない。一言で表現すれば、自然と共存可能な持続型の文明、か。

 プロジェクトでは、全国の大学の学生、企業、自治体職員を村に受け入れ現地で文化や農業を学ぶ「農村版コンソーシアム」、村民自身が学ぶ「農村学講座・オープンカレッジ」、村民自らが地域を深く知る「村民研究員制度」などをプログラム化している。1泊2日の、ほんの触れただけの体験だったがプログラムに参加した。今月8日に村に着き、さっそく農村版コンソーシアムのプログラム(5日間)に学生たちに交じって参加した。参加者は、早稲田大、東京工大、金沢大学、東京芸大などの学生15人。

 手始めに村の資料館に入った。驚いた。見たこともない幾何学模様がずらりと並ぶ。「算額」だ。江戸時代、鎖国で海外との交流がほとんどなかった中で、日本独自の数学として興った「和算」。当時の研究者たちは難問が解けたときの喜びや、学問成就の願いを絵馬にして、神社や寺に奉納した。和算は、16世紀に関孝和によって大系化し、その後全国に普及したものと伝えられている。その和算が木島平で根づき、野口湖龍ら和算家を多く輩出する、「信州和算のメッカ」となった。冬閉ざされる雪国が醸し出した学問の風土といえるかもしれない。

 木島平は「農村文明」を掲げ、持続可能な社会を創造しようと挑戦している。ひょっとして難問に挑戦する「和算のDNA」がここに息づいているのかもしれないと思った。

⇒10日(土)夜・金沢の天気  はれ
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