自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆里山資本主義

2013年08月06日 | ⇒ランダム書評
  能登半島の里山にはイギリス人、そしてアメリカ人の家族がいる。それぞれの里山生活歴はやがて四半世紀(25年)にもなる。その一人、渡辺キャロラインさんはアメリカ・ニュージャージー州出身で、コロンビア大学で日本語を学んだ後、陶芸家の日本人と知り合いになり、珠洲市に移住してきた。長男をもうけたが、夫をがんで亡くした。「女手一つ」で子どもを育てた。現在も英会話教室の講師、そして陶芸家として活躍する。

  そのキャロラインさんの自宅を過日訪ねた。山の中腹、森林の急な坂道を抜けるとログハイス風の住宅と陶芸工房が見え、北アメリカの風景が広がる。家畜小屋を譲り受けて改築してつくったという自宅は薪ストーブがある洋風のこじゃれた住宅だ。自分で薪をつくるというキャロラインさんの腕は太い。冬場には2時間、3時間も雪かきをするという。ここでコメをつくり、ニワトリとミツバチを飼う。「スーパーが遠いのでなるべく自給しているの」と笑う。この地域では知れた「二三味(にざみ)焙煎」のコーヒーをいただいた。ふくよかな香り、おいしい。いろいろなご苦労も察するが、キャロラインさんは笑ってこう話す。「野菜が足りなければ、近所と物々交換するの。お金が少なくても、里山の生活はお金がかからないので暮らしは豊かですよ」

 キャロラインさんの話を思い出しながら、『里山資本主義』(著者:藻谷浩介・NHK広島取材班)を読んだ。消費生活と呼ばれる現代の都会の暮らしと対極にあるのが、山林や山菜、農業など身近にある資源を活用して、食糧をなるべく自給し、エネルギーも自ら得て暮らす、地方の自立的な暮らし方である。著者は、前者をマクロ的に表現して「マネー資本主義」と称し、後者を「里山資本主義」と名付けている。後者、たとえばキャロラインが語った「野菜が足りなければ、近所と物々交換するの。お金が少なくても、里山の生活はお金がかからないので暮らしは豊か」な経済的な暮らしは「贈与経済」とも呼ばれてきた。「里山の資本=資源」で暮らすライフスタイルという意味であり、独特の金の流れ(金融)があったり、経済構造を抜本的に変えるというわけではない。

 むしろ、著者が説くのは、現在のマネー資本主義はシステムも人々の心も病んでいるので自壊する可能性もある。里山資本主義は、人々の取り組みが拡大すれば過疎の町に雇用が生まれ、域内でお金が回り、ある意味で持続可能なシステムなので、マネー資本主義、グローバル経済が破たんしたときのサブシステムとして「担保」しておけという壮大な話なのである。その意味では、「里山資本主義」は絶妙なネーミングである。

 理論だけを論じているのではない。NHKの取材クルーが森林国オーストリアでの里山資本主義の事例を紹介している。強度の高い集成材が開発され木造ビルが普及し、エネルギーもアラブ石油に依存しない体質へと構造転換が始まっている。日本でも、岡山県では製材所での木くずでバイオマス発電で行い、さらに木くずをペレット燃料に加工して、地域の家庭の暖房などに使っている。この取り組みがモデルとなり、森林国日本でも各地の広がりつつあると紹介している。鉄筋センメトから木造へ、石油からバイオマスエネルギーへ、搾取から共生へ、経済のあらゆるモデルを最先端技術で古くて新しい経済モデルに再生する試みが世界で日本で起きている。里山には少子化や年金問題、「無縁」社会といった日本の不安を解決するヒントも潜んでいると著者は説く。

 里山から若者たちが出ていく。「田舎に仕事がない」と。でもそれは間違い。雇用がないだけで、仕事は山ほどある。著書はそんなことも教えてくれる。

⇒6日(火)夜・金沢の天気    はれ
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