自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★ドキュメント「平成と私」~続~

2019年04月12日 | ⇒ドキュメント回廊

   平成に金沢で大きく動いたことと言えば、平成元年(1989)に金沢大学が城内キャンパスから中山間地の角間キャンパスへと総合移転が始まったことだ。平成18年(2006)に移転はほぼ完了した。それまで、城の中にあるキャンパスは世界でドイツのハイデルベルク大学と金沢大学だけというのが「売り」だった。金沢の中心街から学生たちがいなくなり、さらに、城内キャンパスの目と鼻の先にあった石川県庁も平成15年(2003)にJR金沢駅の西側に移転したため県庁職員もいなくなった。

      バブル崩壊、さびれた金沢の復活までの30年

   金沢に住む一人として、当時はバブル経済の崩壊と大学移転のタイミングが重なり、その後の「失われた20年」と称された景気後退期には大学と県庁の移転が相次ぐことで、金沢の中心街が急速にさびれたと感じたものだ。片町という金沢きっての繁華街が「シャッター通り」になりかけていた。金曜日の夜だというのに、片町のスクランブ交差点には人影が少なく、「もう金沢も終わりか」と感じたのは私だけではなかっただろう。

   救われた思いをしたのが、平成16年(2004)年10月にオープンした金沢21世紀美術館だった。金沢は友禅や塗りものなど伝統工芸のイメージが強かっただけに、兼六園の近くに現代アートの美術館が出来たことは市民にも斬新なイメージを与えてくれた。開館2年余りで来館者は300万人を突破し、兼六園や武家屋敷と並ぶ金沢の名所となった。金沢大学の総合移転にともなって、附属中学校・小学校・幼稚園も移転し、その跡地を市が買収して美術館を建てた。大学移転がなければ、美術館という発想は生まれなかったもしれないし、美術館は建設されても郊外だったかもしれない。今にして思えば、絶好の場所でしかも実にタイムリーだった。

   個人的に気に入っている作品は美術館の屋上のブロンズ作品「雲を測る男」だ。作者はヤン・ファーブル(ベルギー)、あの有名な昆虫学者ファン・アンリ・ファーブルのひ孫にあたる。目録によると、作品は映画「アルカトラズの鳥男」(1961年・アメリカ)から着想を得ている。サンフランシスコ沖にあるアルカトラズ島の監獄に収監された主人公が独房で小鳥を飼ううちに、鳥の難病の薬を開発し鳥の権威となったという実話に基づく物語だ。映画の終わりの場面で「研究の自由を剥奪された時は何をするか」と問いに、主人公が語ったセリフが「雲でも測って過ごすさ」だった。それが作品名になった。昆虫学者の末裔らしい、理知的で面白いタイトルだ。

   金沢を明るくしていると感じるもう一つの要因は交通インフラだ。平成27年(2015)3月、北陸新幹線の金沢開業。観光客数(平成29年)は2475万3千人と対前年比100.7%だが、金沢開業前の平成26年(2014)比では114%となり、金沢開業前の水準を大きく上回っている。外国人宿泊者数(平成29年)も60万6千人で、対前年比114%、5年連続で過去最高となった(『統計から見た石川の観光』平成29年版より)。それは片町を歩いていても実感する。すれ違う5人に2人はインバウンドではないかと思うことがある。

⇒12日(金)朝・金沢の天気    はれ

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