自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆ウイキリークス創設者アサンジ氏の功と罪

2019年04月14日 | ⇒メディア時評

        匿名により政府、企業などに関する機密情報を公開する内部告発サイト「ウィキリークス(WikiLeaks)」の創設者ジュリアン・アサンジ氏が、政治亡命で逃げ込んでいたロンドンのエクアドル大使館で逮捕されたことは、ある意味で衝撃的だった。その2つの理由。7年ぶりに大使館から出てきた47歳の姿はかつての精かんな面構えではなく、白ひげの老人の様相だった。もう一つが、サイバー空間だから可能になった内部告発のシステムに限界か、と感じたことだ。

   2007年から始まったウィキリークスによる内部告発はこれまでの既存のマスメディア(新聞・テレビ)の手法とはまったく違っていた。2009年1月、国連平和維持軍の不祥事などについての600件以上の国連内部レポートが公表され、10年4月には、イラクでアメリカ軍のヘリが民間人18人を射殺する軍の内部映像が暴露された。犠牲者のうち2人がロイター通信の記者だったことから、マスメディアにも衝撃が走った。同年11月にはアメリカの外交公電(国務省と274の在外公館の通信)の公表を始めた。当初はイギリスのガーディアンやニューヨークタイムズ、ドイツのシュピーゲルなどの新聞などメディアと連携し、10年7月にメディア3社とウィキリークスが同日、同時間でアフガニスタンをめぐるアメリカ軍文書を掲載した。ウィキリークスの情報開示には既存メディアによる裏付け作業があった。

   ところが、11年9月、ウィキリークスは一転、アメリカの外交公電(1966-2010)25万件を未編集で公開した。中には情報提供者の実名も記されたものもあり、連携してきた新聞などメディアは逆に批判を始め、究極の透明性(暴露)が民主主義をもたらすと方針転換したウィキリークスと一線を画すようになった。ウィキリークス側とすれば、公表に値するかどうかをメディアの調査能力に委ねることに限界、あるいは方針にそぐわないと感じたのだろう。広く情報を集めて暴露するが、その信ぴょう性は保証はしない。暴露(リーク)と報道との違い。国益の整合性を取る既存メディアと、取らない多国籍型のウィキリークスという違いが際立ってきた。

   ウィキリークスはある意味で内部告発のさきがけとなった。10年9月に尖閣諸島沖での中国漁船との衝突事故で海上保安庁の職員がビデオをユーチューブにアップした。13年6月、アメリカ国家安全保障局(NSA)の元職員のエドワード・スノーデンがアメリカは世界中の通信データを傍受し監視しているという実態をガーディアンやワシントン・ポストなどメディアを通じて告発。「ウィキリークスの時代」を予感させる出来事が相次いだ。

       社会に情報を発信する既存メディアは報道の自由を行使し民主主義の発展に寄与してきた。情報の真贋の精査や報道の価値判断、客観的な取材手法、そして情報源を守ることを旨としてきた。ウオッチドッグ(番犬)といわれる政権批判はもとよりだ。一方でインターネットの進展で既存メディアが情報発信を独占する状況ではなくなり、個人メディアの時代に入った。それは情報の自由な広がりと同時に、フェイクニュースがたやすく拡散する状況も生み出し、社会の安全をも脅かすことにもなりかねない。

   ジュリアン・アサンジ氏は、イラクとアフガニスタンにおける戦争に関連するアメリカ軍機密情報や外交公電をウィキリークスで公表したかどで起訴されていた。一方、アサンジ氏をかくまってきたエクアドルでは17年5月の大統領選で反米の政権からアメリカ寄りの政権にシフトしている。エクアドルがアサンジ氏の亡命を取り消すのは時間の問題だった。
 

   今後、アサンジ氏の身柄はアメリカに引き渡されることになるだろう。ただ、アメリカ合衆国憲法には言論・出版の自由は制限されないとの条文(修正第1条)がある。ウィキリークスの暴露が言論の自由の範囲内と見なされた場合は、裁判で無罪になる可能性もあるのではないか。(※写真は、4月12日付イギリスBBCニュースWeb版より)

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