戦争ネタが新聞やテレビに載りやすい夏の時期、ちょっと意外な記事があった。1945年7月にアメリカ軍によって「金沢空襲」が計画された、というのだ(7月26日付・北陸中日新聞)。金沢に住んでいる者の根拠のない共通の理解として、金沢は京都と同じく文化財的な街並みや寺院が多く、空襲の対象にはならなかったという認識を有している。その証拠に、金沢市郊外の湯涌汚染にかつてあった「白雲楼ホテル」は戦後、GHQ(連合軍総司令部)のリゾートホテルとして接収され、マッカーサー元帥らアメリカ軍将兵が訪れていた、と。
新聞記事を以下引用する。太平洋のマリアナ諸島から出撃するアメリカ軍の日本空襲は1944年11月に開始され、東京や大阪、名古屋などの大都市攻撃がほぼ終了した45年6月からはその標的が地方都市に移った。北陸地方で最初の空襲は同年7月12日の福井県敦賀市、日本海側の空襲はとくに7月中旬から8月上旬に集中した。その後は、爆撃目標が市街地から港湾や鉄道に変更された。
アメリカ軍が金沢市を攻撃目標とする空襲計画を立てていたことが分かったのは、アメリカ軍資料を収集する徳山高専元教授の工藤洋三さ氏(65)=山口県周南市=が分析したもの。金沢空襲の計画書は1945年7月20日付で作成され、同年8月1日夜に甚大な被害が出た富山大空襲の計画書が作られたのと同じ日だったという。一方で、同じく8月1日に空襲を受けた新潟県長岡市の計画書は、金沢より遅い7月24日付で作成されている。
金沢空襲の計画書によると、攻撃目標は北緯36.34度、東経136.40度。現在の座標とは数100㍍の差異があるが、旧日本軍の司令部があった金沢城付近を狙ったとみられる。高度4500㍍ほどから爆弾を投下し、70分以内で攻撃を完了する計画だったようだ。
記事では金沢への爆撃ルートも紹介されている。攻撃隊はまずグアム島の基地から出撃。硫黄島や現在の静岡県御前崎市上空を通過し、富山県黒部市付近で進路を北西に変える。石川県の穴水町あたり周回し、金沢に向かって南下。空襲後は再び、御前崎市や硫黄島の上空を通って帰還するルート想定だった、という。
7月19日には福井市が焦土と化していたのでは、次は金沢と誰もが覚悟したことだろう。8月1日、B29の爆撃編隊は、金沢の上空を通り過ぎて、富山市に1万2000発余りの焼夷弾を投下した。11万人が焼け出され、2700人余りの死者が出た。実際は金沢に空襲なかった。計画が実行されていれば金沢市の中心分は灰じんに帰したていたことだろう。
なぜ金沢は空襲を免れたのだろうか。そのヒントは北陸で最初に空襲を受けた敦賀市の事例にあるのかと考える。敦賀市では当時、日本海側の主要港湾で、大阪周辺で被災した軍事施設が疎開していたといわれる。また、富山には発電所を基盤とした重工業の工場が立地していた。ところが、当時の金沢は陸軍第九師団が置かれていたものの、産業といえば繊維が主だった。しかも、九師団の兵は台湾などに赴いていた。総合的に考察すれば、空襲の計画はされたものの、軍事的な価値では優先度が低かったのではないか。
しかし、富山の場合は工場が集中的に目標になったのはなく全市が標的になった。いわゆる「無差別攻撃」である。この意味では金沢も攻撃対象になり得たのではないか。その後、8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下される。無差別攻撃は一気にエスカレートしたのである。
⇒31日(金)朝・金沢の天気 はれ
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広島へ先月旅してみて何故、空襲が無かったか・・その理由が原爆とは。
私は金沢も原爆対象だったかもしれないと思っていましたが、どうやら違うみたいですね。
攻撃(空襲)をすれば上層部は戦果報告を期待する。金沢に空襲するため出撃したが雲が多くて目標が定まらない、戦果報告ができない。
そこで別の都市に焼夷弾爆撃をしたとなると運命なのかな・・・
金沢は新幹線が開通したからなのか、元気な街でした。中国人が多いのは仕方ないか。
彼らは普通にはなしていても声が大きいから…兼六園の清閑な佇まいを期待した私の準備勉強不足でした。