自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★道央走春‐追記‐

2013年05月06日 | ⇒トピック往来

  北海道旅行の4日目(5月6日)は札幌を巡った。朝は気温が5度と低く、吐く息が白い。市内全体がガスがかかった感じで、テレビ塔(147.2㍍)=写真・上=もかすんで見える。オホーツク海に停滞している低気圧の影響で上空に寒気が流れ込んでいるためらしい。午前中のニュースでは、北海道の東部が雪に見舞われ、帯広では積雪3㌢となり、5月としては2008年以来の積雪を観測した、と。3日に新千歳空港に到着してからずっと春冷えで、まるで冬を追いかけてきたようだ。

       ビールの歴史、ワインのメッセージ、北の酔い

  けさの地元紙、北海道新聞の一面トップは「検証4・2日ロ首脳会談 譲歩か見せ球か 大統領が過去の領土解決例」との特集だ。安倍総理がプーチン大統領を訪問したとき、領土問題の解決にプーチンが力を注いできたことに水を向けたときの様子が述べられている。以下、記事を引用する。

  「プーチンはとうとうと語り始めた。中国とアムール川などの中州にある島の面積をほぼ2等分したこと。ノルウェーとも大陸棚の海域をほぼ2等分したこと…。『難しかった。だけど最後はフィフティ・フィフティ(50対50)で解決したんだ』」、「(昼食会で)プーチンは突然、1855年産のワインを手に立ち上がり、『下田条約(日露通好条約)が結ばれた年だ』と、安倍に振る舞った」(敬称略)

  上記のプーチンの言動を分析して、日本へ譲歩を示すシグナルか、見せ球かと北海道新聞はさらに言及する。北方領土問題で歯舞と色丹の2島の日本への引き渡しを明記した1956年の「日ソ共同宣言」の有効性を確認した「イルクーツク声明」(2001年、森喜朗総理とプーチン大統領が署名)の具体的な言及をプーチン大統領は避けたが、それでも、別れ際に「日本のことが好きだ。行くのを楽しみにしている」と安倍総理にささやいたとのエピソードを掲載している。探り合いながらも、両国が前向きの姿勢で領土問題の解決に可能性を見出している、との新聞を読んでの印象だ。それにしても、1855年産のワインはロシアからの相当前向きなメッセージではないだろうか。

  昼食を取りにサッポロビール園=写真・下=を訪れた。博物館では、北海道でビール作りが始まったエピソードが紹介されている。明治5年(1872)に北海道開拓使が招いた「お雇い外国人」の一人、トーマス・アンチセルが岩内で野生のホップを発見する。これがきっけで試験栽培が始まった。開拓使の幹部たちは東京での醸造所を計画するが、醸造には氷が不可欠と現地での醸造を主張する現場の課長たちが巻き返す。東京での着工が迫った明治9年(1876)に開拓使のトップだった黒田清隆が最終的に北海道での醸造所建設を決断する、というストーリーだ。そのとき、元薩摩藩士だった黒田は西郷隆盛らとにらみ合っており、明治10年(1877年)に西南戦争が起きると、黒田は鹿児島に赴く。激動する明治の歴史の中でささやかに北海道でビールは誕生したのである。

  北海道の旅ではビールもワインも十分に堪能した。この日は新千歳空港を18時00分発の便で羽田空港へ。乗り継ぎで小松空港へ。北陸に戻ったのは21時過ぎだった。

⇒6日(月)夜・金沢の天気    はれ 


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