自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「Iターンの島」~1

2012年06月08日 | ⇒トピック往来

 島根県松江市に来ている。初めて山陰地方に足を運んだ。一度訪ねたいと思っていた地域だった。8日夜は、金沢から京都駅、新幹線で岡山駅と乗り継いで、松江駅に到着したのは夜11時ごろだった。きょうから梅雨入りで、どんよりと曇っている。なぜ、北陸から山陰にやってきたのか。視察である。「場の学び」にやってきたのは松江ではない。松江は通過地点で、さらにこれから船で隠岐島・海士町(あまちょう)=写真・上=を目指す。

        いざ、隠岐の海士町へ    

 金沢大学と石川県立大学、金沢星稜大学、石川県、能登の2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)で構成してる「能登キャンパス構想推進協議会」の事業の一環として、共同調査事業を行っている。大学と地域が知恵を出し合って、どのように地域づくりや活性化を目指せばよいのか、そんなテーマで自治体とともに調査研究を行っているのだ。今回は、島根県隠岐郡の町、海士町(あまちょう)を目指してやってきた。隠岐諸島の島前三島のひとつ・中ノ島に位置する。面積33.5平方キロ、世帯数1100、人口2300人ほどの町だ。人口は1950年代に7000人ほどだったが、今ではその3分の1ほどまで減少した典型的な過疎地域だ。この島の小さな町が全国から地域おこしの町として注目されているのだ。

  「海士ブランド」と呼ばれる、地域でつくった品々である=写真・下=。「さざえカレー」、「隠岐牛」、CAS凍結商品「島風便」、「海士乃塩」、「ふくぎ茶」など島づくりで全国に売り出す。これまでの農産物や海産物を本土に送るだけでなく、加工して流通ルートに乗せる、そんな「6次化」産品に乗り出し、成功を収めている町なのだ。そして、都会からの若者たち移住者(Iターン)も増えている。

 個人的な興味もある。もう25年前にもなるが、新聞記者時代に能登半島の輪島市の海士町(あままち)を2年間かけて取材した。連載した記事は後に『能登 舳倉の海びと』(北國新聞社編集局編)のタイトルで一冊の本にまとめられた(執筆分担)。その経験から、「海士町」という文字には反応する。今回の調査ための視察は即決だった。

 輪島の海士町のルーツは360年余り前にさかのぼる。北九州の筑前鐘ヶ崎(玄海町)の海女漁の一族は日本海の磯にアワビ漁に出かけていた。そのうちの一門が加賀藩に土地の拝領を願い出て輪島に定住したのは慶安2年(1649)だった。確かに、海士町の人々が言葉は九州っぽい感じがする。では、隠岐の海士町との関連性はと考えると興味深いのだ。

 今回は11日までの3泊4日の学びの旅。題して、「Iターンの島」と題してルポする。

⇒8日(金)夜・松江市の天気   あめ



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