自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆フィリピンの戦争モニュメントと「終戦の日」

2023年08月15日 | ⇒ドキュメント回廊

   きょう「8月15日」は終戦の日である。政府主催の全国戦没者追悼式(東京・日本武道館)をNHKで視聴していた。岸田総理は「いまだ争いが絶えることのない世界にあって、わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面するさまざまな課題の解決に、全力で取り組んでまいります」と式辞を述べた。いまだに続くロシアによるウクライナ侵攻を意識したような言葉だった。

   正午の時報とともに1分間の黙とうが捧げられた。その後、天皇陛下は「過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられた。全国戦没者追悼式は、日本国が不戦の誓いを確認する恒例の行事でもある。

   「8月15日」の現場を訪れたことがある。2012年1月に金沢大学の交流事業でフィリピン・ルソン島イフガオ州のキアンガンを訪れた。山中に壮大な棚田が広がる絶景と同時に、人類の米づくりの歴史を感じさせる。土地の識者の人たちから日本との関わりの話を聴いた。当地では9月2日は「勝利と解放の日」として日本軍との戦いに勝利したことを祝い、10年に一度は大規模な式典が開催されている。本来ならば1945年8月15日が終戦の日だが、ルソン島で最後まで抵抗を続けていた日本軍の山下奉文陸軍大将が降伏を表明したのは9月2日だった。

   土地の人たちの話は辛辣だった。アメリカ軍の進行に押された日本軍はマニラから北上してバギオを経由して経て、さらに奥深いキアンガンに最後の拠点を構えた。山中で孤立した日本兵の多くは飢餓や戦病で倒れ、「今でも骨はいたることろで見つかる」と話していた。そして、古老は「日本兵は怖かった。あいさつをしなかったというだけで殴られた。なので、山に逃げて、夜になると食料を探しに村に降りるという生活を続けていた。ヤマシタが降伏したと聞き、走って山から村の家に帰った」と話した。

   キアンガンの村で山下は降伏の意思を表明し、翌9月3日にバギオに連行され、そこで降伏文書に署名してフィリピンでの戦闘は最終的に終了した。戦時中フィリピンでは日本兵51万人が戦死しているが、フィリピン人は110万人が命を落としている。別の古老は「戦争当時は日本と日本人を憎んだ。しかし今は平和の時代、日本人とは仲良くやっていきたい」と話し、握手を求めてきたのを覚えている。11年も前の話だ。

(※写真は、キアンガンにある「戦争モニュメント」の塔。激しい戦闘を物語るレリーフがある。この公園では10年に一度、「山下降伏記念式典」が開催される。直近では2015年9月2日に行われた)

⇒15日(火)夕・金沢の天気   くもり


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