ここ何十年まともに大晦日の『NHK紅白歌合戦』を視聴したことがない。でも、2019年の大晦日はチャンネルを合わせようと思っている。その理由は、竹内まりやが初めてこの番組に出演するからだ。同年代のまりやファンの間ではこの話で盛り上がる。歌うのは「いのちの歌」だ。この歌は最近よく耳にする。結婚式や卒業式など少し厳粛な感じのセレモニーで歌われている。
「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに 胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ この星の片隅で めぐり会えた奇跡は どんな宝石よりも たいせつな宝物・・・」。人と人の出会いの喜びや、命をつなぐことの大切さを歌い、心にしみる。そして、CDのジャケットが里山なのだ。桐の花が咲くころ、田んぼで子供たちも入り田植えをしている。手前にはハス田が広がる。生命の息遣いが強くなる遅い春、あるいは初夏の風景だ。
竹内まりやの詞には生命感があふれている。そう感じたのは昨年11月、島根県の出雲大社を訪れたときのことだ。11月のことを旧暦の月名では神無月(かんなづき)と称するが、出雲では神在月(かみありづき)と称し、全国の神々、つまり八百万(やおよろず)の神が出雲に集いにぎやかになる=写真・上=。出雲は神話のスケール感が違うとの印象だった。その出雲大社の門前にある竹内まりやの実家の旅館に宿泊した。明治初期に造られた老舗旅館は風格あるたたずまい。この家で生まれ、大社の境内で幼少期にはどんな遊びをしたのだろうかなどと想像が膨らんだものだ。
その旅館に竹内まりやの詩が額入りで飾られている=写真・下=。「杵築の社に神々集いて縁結び栄える神話の里よ」。神々が出会い、縁を結ぶ、その場が神話の里、出雲ですよ、と。おそらく神在月のにぎやかさを表現した詩だろう。出雲大社は樹木の緑に囲まれた山のふもと、里山にある。これは想像だが、竹内まりやは幼少期から出雲の里山で神々や自然の生命の輝きを体感したのではないだろうか。「いのちの歌」のルーツはこの額入りの詩ではないだろうか。
そう考えると竹内まりやの歌のスケール感が理解できる。「いのちの歌」では「いつかは誰でも この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく・・・」と。デビュー41周年にしてようやく紅白歌合戦に。神がかった、愚直なまでの人生のスタイルではある。
⇒16日(月)夜・金沢の天気 はれ
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