自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★中谷宇吉郎の言葉

2012年07月16日 | ⇒トピック往来

 人は死すれど、言葉は後世に伝わる。物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れたころにやってくる」を遺した。同じく物理学者の中谷宇吉郎も「雪は天から送られた手紙である」と。自らの研究で業績を遺したからこそ価値ある言葉として伝わり、名言として広まる。

 中谷宇吉郎の研究業績と人となりを紹介する「中谷宇吉郎雪の科学館」=写真=を昨日訪ねた。宇吉郎の出身地である加賀市片山津温泉に建物がある。館内を巡ると、北海道大学で世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出したこと、雪や氷に関する科学の分野を次々に開拓し、その活躍の場をグリーンランドなど世界各地に広げたことが分かる。館内では、アイスボックスの中でダイヤモンドダストを発生させる実験も行っている。意外だったのは、多彩な趣味だ。絵をよく描き、とくに随筆では日常身辺の話題から科学の解説まで幅広い広い。海外で学術学会があるたびに蓄音機とレコードと踊りの小道具を持参し、パーティ後に日本の踊りを披露していたとのエピソードがあるくらい。陽性な人柄が目に浮かぶ。『霜の花』など科学映画の草分けとしても知られる。

 研究と多趣味、その中から湧き出る泉のように言葉も脳裏をよぎったのだろう。それを書き留めては随筆として残した。科学館では、その中からいくつかを紹介している。転記する。

 「科学の発達は、原子爆弾や水素爆弾を作る。それで何百万人という無辜(むこ)の人間が殺されるようなことがもし将来この地上に起こったと仮定した場合、それは政治の責任で、科学の責任ではないという人もあろう。しかし私は、それは科学の責任だと思う。作らなければ、決して使えないからである」(『日本のこころ』文芸春秋新社・昭和26年)

 「奈良朝から、千年以上も、同じ田に、同じ米をつくって今日までつづいている。千年以上のの連作ということは、世界の農業者の常識を超越したことである」(『民族の自立』新潮社・昭和28年)

 このブログを書いていて思い出した。中谷宇吉郎と言えば、「立春の卵」という随筆で知られる(『中谷宇吉郎随筆集』岩波文庫)。戦後間もない昭和22年、立春に卵が立つという迷信があり、それを新聞社が大々的に取り上げた。そこで、「卵は立春に限らず、いつでも立てることが出来る。新鮮な卵の表面にある3点以上の出っ張りを足として卵を支え、卵の重心をそこに落とすべく、少しだけ根気よく作業すれば、生卵であっても、ゆで卵であっても…」と説いた。そして「人間の盲点があることは誰も知っている。しかし人類にも盲点があることはあまり知らないようである。卵が立たないと思うぐらいの盲点は大したことではない。 しかし、これと同じようなことが、いろんな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである」と記した。科学を一般の人々に分りやすく伝える方法として随筆を書いたのだった。

 館内を一巡して、雪の結晶を蒔絵にした輪島塗の文箱=写真=が展示されていた。昭和16年(1941)に学士院賞を受賞した折、親戚が贈ったものと記載されてあった。「中谷ダイヤグラム」と呼ばれるさまざまな雪の結晶はまさに芸術である。それを精緻に表現している作品だと感じた。

16日(祝)朝・金沢の天気  はれ

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