日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

沖縄読み(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々147)

2019年03月26日 | 日記
工工四の記載では
「あた果報のつきやす 夢やちやうも見だぬ かぎやで風のつくり べたとつきやさ」と書いて、実際の読みは
「あたかふのつちゃす ゆめやちょうんだぬ かじゃでぃふぬつくい べたとつちゃさ」
「おんなまつしたにきじのはいたちゆす こひしのぶまでのきじやないさめ」と書いて、実際の読みは「おんなまちしたに ちじのふぇのたちゅす こいしのぶまでん ちじやねえさみ」
「つなぎ節」と書いて「チナジブシ」と読みます。

これら全て「き」が「ち」に読み代わるわけです。
これは、沖縄の人の発音の習慣を想定して、書き方を統一しているようです。
これを仮に「沖縄読み」とします。

この例にならい「カジャディフウブシ」と発音する場合、どう書くか。
そして、「沖縄読み」を想定し「かぎやで風節」と表記したわけです。

しかし、急速に「ウチナーグチ」(沖縄語)が失われつつある現代となっては、これが災いして、正しい読み方が「かぎやで」と思われてしまっています。
是非これを何とかしなければなりません。

談合(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々146)

2019年03月22日 | 日記
さる「協会」の「中巻」の最初の方のページに、面白いことが書いてあります。
(手元に無いので)大体の意味としては「談合の結果、各倶楽部においては今後この工工四を統一して使用することになりました。」というようなことが書いてあります。
「談合」ですか・・・・

嘉謝伝風節シリーズ(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々145)

2019年03月21日 | 日記
かじゃでぃふう節の歌詞は、「今日の誇らしゃや」で始まりますが、実際には「キユウヌフクラシャヤ」と歌います。
これが疑問なのです。
「今日(きょう)」という言葉の発音は、ウチナーグチでは通常「チュウ」となります。
それをあえて「キユウ」と言うのは、やはり「ヤマト言葉」を意識しているようです。
工工四の解説部分にも書いてありますが、琉球古典音楽は和と琉球の折衷のようです。


嘉謝伝風節シリーズ(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々144)

2019年03月21日 | 日記
「139」に、
「カギヤデ」と書き間違えても、やはり「カジャディ」と読めるわけです。
歌詞も「ナオニジャナタティル」は「ナヲニギヤナタテル」と書いています。
「ヂヤ」と書いても「ギヤ」と書いても「ジャ」です。

と書きましたが、疑問を持った方もいらしゃると思い、改めて説明します。
これは、ウチナーグチの法則で、「キ」が「チ」という発音に変わるのです。
「キヨラサ」が、漢字で書くと「清らさ」が「チュラサ」という発音になるわけです。
「時」は「トチ」、「来る」は「チューン」などです。
この法則があるため、当時工工四を書き写すときに「カヂヤデ」と書いてあるものを「善意」で正しい「ヤマト言葉」にしようと思い、あえて「カギヤデ」と直したものかもしれません。
でも、そんな言葉は大和にはありませんでした。・・・ということかも。

嘉謝伝風節シリーズ(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々143)

2019年03月20日 | 日記
さて、「かぢやで風節」問題もいよいよ佳境を迎えました。
ここで、代表的な歌詞を見てみましょう。
「今日の誇らしゃや なおにじゃなたてぃる 蕾でおる花の 露着たごと」
というものですが、ウチナーグチによる読みはさておき、問題はこの歌詞の「解釈」です。
一般的には、「今日の嬉しさは 何に例えることができるでしょうか 蕾だった花に 露が付いて(ぱっと開花した)ときのようだ」
なのですが、しかし・・・。
前半は、このままで何の疑問もありません。
問題は後半です。露が付いて急に開花するでしょうか?露が付くのは早朝でしょう。まだ寒くて開花どころではありません。
歌詞も「花が開いた」とは一言も言ってませんが、でも開花したと解釈しなければ、嬉しさを伝えられません。
本当は何か別の解釈があるようです。(例えば蕾・花を女性に例えるとか)
琉球古典の歌詞には、結構こういうのが散見されます。