日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

嘉謝伝風節シリーズ(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々142)

2019年03月20日 | 日記
かぎやで風節とは、琉球古典音楽のひとつ。主として沖縄では祝宴に必ず演奏されるもので、歌に三線の伴奏が伴い、舞踊曲としても扱われ、箏、太鼓、笛、胡弓を伴うこともある。
読みは「かじゃでぃふうぶし」で、現存する最古の工工四である屋嘉比朝寄が書いたものには、カタカナで「カヂヤデ風節」とある。
「かぎやで」と書いて「カジャディ」と発音する。

嘉謝伝風節シリーズ(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々141)

2019年03月19日 | 日記
さて「カギヤデ」は「カヂヤデ」の「読み間違い」なのですが、なぜ漢字ではなく「かな」で表記したのか?
もともとは「鍛冶屋出の人の大出世物語(奥間カンジャー)」風(ふう)の歌という意味だったが、当て字で「嘉謝伝風節」とした。
その方が「鍛冶屋」と「喜びと感謝」を掛けていて、物語の内容に沿っている。
しかしこれでは読みにくいということになり、「かな」で表記するようになったのでは?
そして、手書きのためカタカナの「チ」が「キ」に見えてしまい、読み間違いが発生して、意味の分からない言葉「カギヤデ」が生まれてしまった。

琉球大学附属図書館(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々140)

2019年03月18日 | 日記
屋嘉比朝寄の工六四(工工四)に「カヂヤデ風節」があると書きましたが、
琉球大学附属図書館のホームページ一番下にある「デジタルアーカイブ」で、伊波普猷文庫「044番」に「工工四(屋嘉比朝寄)」が公開されています。
その44ページの左に「カヂヤデ風節」と書いてあります。
これは見方によっては「カギヤデ」にも見えます。
でもよく見ると「ギ」ではなく「ヂ」ですね。
現存する中で最古と言われるこの工工四以外に、どんな資料があると言うのでしょうか。これは最強の資料です。

つまり「カギヤデ風」という言葉はもともと存在せず、
正しくは「カヂヤデ風」であるということです。
表記をあえて「かぎやで」としたのには、沖縄語と日本語の複雑な「読み方」に関する深い理由があるようです。

漢字で表記された資料によれば「嘉謝伝風節」
かなで表記された資料によれば「カヂヤデ風節」
ということです。

「かぎやで」と書いて「かじゃでぃ」と読むのは「歴史的仮名遣いだから」というのは私の誤りでした。謹んで訂正いたします。(「ヂ」を使用するのは歴史的仮名遣いです)

嘉謝伝風節シリーズ(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 139)

2019年03月17日 | 日記
さて、「カジャディフウ節」は、勝手に「嘉謝伝風節」に決めつけましたが、まだ問題は解決しません。
工工四の歴史の中でよく出てくるのが、その創始者と言われる「屋嘉比朝寄」による「屋嘉比工六四」(ヤカヒクールンシー)ということになっております。
琉球大学付属図書館所蔵の「屋嘉比工六四」の写真が、ある解説書に掲載されているのですが、なんと「御前風節、カヂヤデ風節」とカタカナで書いてあるではありませんか。
最古とされるこの「工六四」には「カギヤデ」ではなく「カヂヤデ」!
もしかしたら「ヂ」を「ギ」に見間違えた?
そうして書き写す際に「カギヤデ」と書き間違えても、やはり「カジャディ」と読めるわけです。
歌詞も「ナオニジャナタティル」は「ナヲニギヤナタテル」と書いています。
「ヂヤ」と書いても「ギヤ」と書いても「ジャ」です。
このあたりに工工四の歴史の謎がありそうです。

嘉謝伝風節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 138)

2019年03月16日 | 日記
「嘉謝伝風節」「安多嘉報の附す夢やちやうん見ぬ嘉謝手報のつくへ混と附? 」(琉球大学附属図書館所蔵)
これをわかりやすくすると
「あた嘉報の附す 夢やちやうん見ぬ 嘉謝手報のつくへ 混(べたと)と附さ」
工工四の記載では
「あた果報のつきやす 夢やちやうも見だぬ かぎやで風のつくり べたとつきやさ」(歴史的仮名遣いですね)
その意味は
「このような思いがけない幸せがやってくるとは 夢にも思わなかった 鍛冶屋で物を造る手法のように (幸運が)わが身にペタッと付いた」ということらしいです。

さて、ここで問題になるのは、なぜ現代においては「ひらがな」で、しかも歴史的仮名遣いで表記するのか?
そして題名が「嘉謝伝風節」で、歌詞の中は「嘉謝手報」なのか?
これを見る限りは、どちらも「当て字」のように思えます。それで「ひらがな」したのか?
でも、「嘉謝伝風節」は、「喜びと感謝を伝える曲」という意味。
歌詞の中身の「嘉謝手報」は、「鍛冶屋」と「喜びと感謝」を掛けた言葉ではないでしょうか。