日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

かじゃでぃふう節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 132)

2019年03月08日 | 日記
「かぎやで風節」(カジャディフウブシ)の歌詞はいくつかあるようですが、国の「沖縄語辞典」にも「カジャディフウブシ」で載せてあり(間違っても「カギヤデ」では載ってません。)、代表的な歌詞として「けふのほこらしやや・・・」で始まるものともう一つ紹介してあります。
「あた果報の着きやす  夢やちよも見らぬ  我胴やれば我胴い  拝ですでら」で、工工四のものと後半が違います。
意味は「こんな幸運が来るとは 夢にも見なかった わが身がわが身であるとも思えない ありがたくいただきましょう」ということらしいです。
それにしても、「かぎやで」と書いて「カギヤデ」と読むという間違った情報が氾濫しています。
これを何とかしたい。

古典は厳しい(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 131)

2019年03月07日 | 日記
古典の厳しさは、何といっても師匠をはじめとした先人の皆さまの完全コピーの必要性です。
少しでも音が違っていたり、節回しが違っていることは許されないのです。
野村流であれば「野村安趙様」の歌っていたとおりにコピーする必要があるのです。
他の流派であれば、その始祖の方の歌のとおりにコピーするわけです。
でも例えば「恩納節」一つとってみても元は同じ歌なのに、野村流と安冨祖流とでは全く別の曲になってます。
これが疑問なのです。当時の野村さんも安冨祖さんもその師匠は同じではないにしても、元をたどれば同じ「恩納節」を習ったはずなのに、しかも古典は完全コピーが原則なのに。いつの間にか違う歌になっているのは何故?
まあ、当時は現代のような工工四も未整備で、録音などあるはずもなく、耳コピーだけでしたから仕方無いのかもしれません。
でも、もしかしたら題名は同じで最初から2種類あったりして。

ハーモニー(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 130)

2019年03月05日 | 日記
西洋音楽と、琉球古典音楽をはじめとした東洋の音楽の違いは、和声(ハーモニー)があるかどうか。と言われますが、
自身が琉球古典音楽を習ってみてわかったのが、三線の音と歌にはハーモニーがあるという事です。
例えば「恩納節」でも早速現れます。工の音を弾きながら尺の音で歌い、次に両方とも工の音に落ち着きます。これが西洋音楽の和声の考え方と似ているわけです。コードで言うとFからCに行く感じです。
ですから、こと琉球古典に関しては、単音の音楽ではありません。

掛の怪(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 129)

2019年03月03日 | 日記
カジャディ風節の掛です。
左から3行目の大掛のタイミングと、左から2行目の「上の音での掛」は同じタイミングを表しています。
「掛」の記号は「上」の横に来るべきで、上の横の「赤点」は要らない気がします。



と、思っていたら、クティ節の掛では「四」の音の横に「赤点」はありません。この方が見やすいです。
しかし!二分五里ではなく五分のタイミング?