みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

10月も なかばだと いうのに

2015年10月18日 22時45分09秒 | 日常のあれこれ
おおいそぎで図書館に すべりこみ。めに とまった本をささっとピックアップしてカウンターへ。予約した本が1冊準備できてるはず……が、2冊準備されていました。ありゃ。1冊だけ ひきとって あとの1冊は次回に まわします。

はやあるきしたせいか、かえりみちに せなかが あせばんできました。10月も なかばだと いうのに、へやの まどをあけないと あつくて しかた ありません。

※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。

「マンハッタンの奇譚クラブ」

2015年10月16日 22時42分03秒 | 日常のあれこれ
●「スタンド・バイ・ミー ― 恐怖の四季 秋冬編」(スティーヴン・キング 著、山田 順子 訳、新潮文庫)

2本の小説が おさめられています。2本め (ふゆ編)「マンハッタンの奇譚クラブ」で ちからづよい生が うちだされて感動的。ただし、第1節と第3節は蛇足。第2節をみちびくために第1節は不要です。第2節「呼吸法」だけをクローズアップした ほうが作品として魅力的です。第1節は とばして第2節だけ よむのも いいでしょう。訳文は ところどころ ながったらしくて よみにくい。

この本に収録されている1本めの小説 (あき編) は よまなくて かまいません (もちろん よんでも かまいません。忍耐力が やしなわれます)。この訳文は ふゆ編にも まして ながったらしく、挿入句が おおすぎて よみにくいです。英文の ながれなら挿入句が あっても よめるのですが、その挿入句をそのまま日本語訳に もちこむと文の ながれが ぶちぶちに きれてしまいます。原文の ながれをそこなわない訳文をのぞみます。

たまたま図書館で みかけた本ですが、「マンハッタンの奇譚クラブ」に であったのは めっけもん。

※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。

ニットのジャケット

2015年10月08日 22時13分37秒 | 日常のあれこれ
あさ はやく出勤していたスタッフが かえるときに なって おどろきました。

みんな あたたかそうなニットのジャケットをきているのです。そんな服をきていては あついだろうに、と おもうほどです。

どうやら あさは かなり ひえたようです。わたしは それより おそい時間に出勤しましたが、先週と おなじ服で十分でした。むしろ、すこし うごくと あせばむほどでした。

こんな気候が しばらく つづくのでしょう。

※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。

また ねむれない

2015年09月29日 22時36分15秒 | 日常のあれこれ
最近また よるの ねつきが わるく なってきました。

すこし まえは深夜2時に なると ねむく なりましたが、3時に なっても ねむけが こないように なり、やがて4時でも ねむれなく なり、いまは5時まで ねむれません。

ひらきなおって本でも よむことに しました。おかげで昨夜は1冊半よむことが できました。今晩は小説をよむつもり。著者は南木佳士 (なぎ けいし)。さて、どんな小説でしょうか。

※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。

「女性画家たちの戦争」

2015年09月26日 22時16分13秒 | 日常のあれこれ
ときは戦前。女性の社会的地位は低く、女性には家庭の中にいることが求められていました。

そんな世相に戦争が割って入ります。戦争が社会をゆがめ、ガチガチに固まっていた社会システムにわずかなひずみが生じます。そこにくさびを打ち込む女性たち。

女性による戦争美術が生まれました。戦時下で資材が不足する中、戦争美術であれば画材を入手しやすかったことが拍車をかけました。

●「女性画家たちの戦争」(吉良 智子 著、平凡社新書)

あとがきが印象的です。

戦争とは意気盛んな人々が巻き起こす「普通ではない」狂信的行為だという、ここにもまた「思い込み」がないだろうか。しかし、女流美術家奉公隊に参加した女性画家の大部分は、意気軒昂というわけではなく、誘われたから何となく加わった者たちであった。このような当時の女性画家と現代の私たちとの間には、大きなへだたりはないのではないだろうか。
 戦争とは、晴天の霹靂 (へきれき) のようにあるとき突然やってくるものではなく、「普通」に暮らしている私たちの生活に少しずつ忍び込み、気がついたときにはもう後戻りできないほど進行しているものである。
(p.197~198)