D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=5.6, SS=1/3200s), 0.0EV (Spot metering), ISO200, WB=Sunny (+0), f=50mm (35mm-equivalent: 75mm)
餘部鉄橋を特急はまかぜがゆっくりと渡ります。
一斉に響き渡るシャッター音。連写の音がせわしない。
特急はまかぜが通過してしまうと、ものの10分も経たずに人が消えてしまいました。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=5.6, SS=1/80s), 0.0EV (Matrix metering), ISO200, WB=Shade (+0), f=17mm (35mm-equivalent: 25mm)
ぽつんと残された通称「お立ち台」。ちゃんと木の床が設けられていて、三脚を安定して立てられるようになっています。
左奥に見える白い板には、餘部鉄橋を列車が通過する時刻が書かれています。みんなこの表を見て撮影してるのね。ある人は、特急はまかぜを撮影した後、次の列車通過時刻と腕時計を確認すると、カメラと三脚を抱えて小走りで山を降りていきました。相当な慌てっぷり。仕事で撮影しているのでしょうか。
私もぼちぼち山を降りましょう。今日は日が暮れるまでこの餘部で過ごすつもりです。
餘部駅は山の上にあるので、下の集落へは急な山肌にへばりつくような細い道を下りていかなければなりません。転げ落ちそうなほど急な坂道の途中には、土がむき出しになった道もあります。
山陰線が遅れるほどの雨が降った翌日ということもあり、土の表面が濡れて滑りやすくなっています。一歩一歩踏みしめるように慎重に下りていきます。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=5.6, SS=1/320s), 0.0EV (Matrix metering), ISO200, WB=Cloudy (-2), f=38mm (35mm-equivalent: 57mm)
高さ41.45m、長さ310.59mにわたる橋桁を11基の橋脚が支えています。着工が明治42 (1909) 年、開通が明治45 (1912) 年というから驚きです。現代のように強力な重機もなかった時代に、よくこれだけの鉄橋を組み上げたものです。
さらに驚くのは、この鉄橋が毎日潮風を浴び、ときに台風にもさらされながら94年以上も使用され続けていること。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=5.6, SS=1/200s), 0.0EV (Matrix metering), ISO200, WB=Cloudy (-2), f=50mm (35mm-equivalent: 75mm)
規則正しく並ぶ赤い橋脚。遠くから見ると細い鉄骨が頼りなく感じましたが、間近で見ると「これでもか」とばかりに筋交い (すじかい) が入れられており、かなり頑丈な構造をしていることが分かります。ゴジラにとってもなかなか壊しがいのある建造物です。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=5.6, SS=1/250s), +0.7EV (Matrix metering), ISO200, WB=Cloudy (-2), f=29mm (35mm-equivalent: 43mm)
鉄橋のすぐ下には民家が建ち並んでいます。こんな大きな建造物のすぐ下で寝起きするのは不安ですが、地元の人はもう慣れっこなのでしょう。
橋脚にははしごが設けられています。保守点検が欠かせないとはいえ、こんな高い所まではしごだけを頼りに登るなんて、考えただけで足がすくんでしまいます。
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蔵出し企画: おもちゃ箱の奥
2005年9月26日の記事は → 「英語モドキ」
【みぃのつぶやき】 英語モドキは相変わらず多いです。日本人は昔から欧米に対する劣等感が強くて、英字 (英語ではなくて、あくまで「英字」) のほうが見栄えがいいという意識が根強く残っているのでしょう。最近では小学生に対する英語教育も取り沙汰されています。
一方、日本語教育はそっちのけ。現状では、新聞の記事や作家のエッセイでさえ、語順や読点 (、) の打ち方が不適切な文章や書き手の思考が混乱したままの文章が多く見られるほど日本語が荒れているんです。文章の書き方についてそれなりに勉強を積んでいるはずの新聞記者や作家でさえこの有様ですから、教師に日本語教育をさせるのは無理な話かもしれません。
よく巷 (ちまた) で話題になる「日本語の乱れ」なんかどうでもいい。「相手に伝えるためにどう書くか」を勉強しよう、と声を大にして訴えたい。
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