みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

はりこみ作業が自己肯定感を強化する

2013年09月30日 22時15分16秒 | 明日への一歩
新聞や雑誌、広告などに掲載されている写真や えが 気に いった場合は、きりぬいて てちょうに はりこみます。てちょうが はなやかに なり、スケジュールが ならんでいるだけの無機質なノートから、ひらくのが たのしみな毎日のパートナーに かわります。新聞からは、写真のほか、こころに ひびいた ことばや経済データも きりぬいて てちょうに はりこみます。

はりこみの作業は、ちょっとした工作の時間。まいとし1月1日に あたらしい てちょうをつかいはじめ、次第に自分ごのみに しあがっていく過程も たのしみです。あまり いろいろなものをはりこむので、年末には てちょうが もとの あつさの1.5倍くらいまで ふとります。この ふとった てちょうをみて ちちは あざわらいますが、ふとった分は わたしが人生をつみかさねた証拠。ひとから なんと いわれようと やめる つもりは ありません。と いうか、やめる気には とうてい なれません。

こんな てちょうの つかいかたを、もう何年つづけているでしょうか。過去の てちょうをひらいてみると、2008年までは、でかけた ばしょの写真など、自分に関係のあるものだけをはりこんでいました。自分の行動に直接関係しなくても 気に いった写真や関心の ある記事などをはりこむように なったのは2009年。ことしで すでに5年めに なります。てちょうへの はりこみは、もう完全に日常の なかに くみこまれました。

この はりこみをつうじて、自己肯定感が とても つよくなった実感があります。自分は いまの自分で よいのだ、と おもえます。こころが おちつきます。まえに すすむ ちからが わいてきます。

てちょうは人生のパートナー。来年は もっとバージョンアップします。

※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。

本心に素直に

2013年07月27日 22時59分03秒 | 明日への一歩
●「森田療法」(岩井 寛 著、講談社現代新書)

人間は本来、生きようという欲望を持っている。その欲望が生きる原動力である一方で、精神症状の原因にもなる。本来持つ「生きよう」とする力を素直に引き出すことで、よりよく生きることができる。

自分は本心に素直に従っているかな。

神経症の人に限らず、どんな人でも、自分の本心に素直に従わないことがあります。ときに自分を見つめ直すのはよいことです。1986年刊と古い本ですが、鮮度は落ちていません。

映画「八日目の蝉」が地上波に!

2012年06月22日 16時30分33秒 | 明日への一歩
5月末に、小説「八日目の蝉 (せみ)」(角田光代 著、中公文庫) を手に取りました。3日ほどで読み、大きく心を揺さぶられました。読んでいる途中で涙があふれる場面が何箇所もあり、読み終えてからも涙が止まりませんでした。

小説の余韻は大きく、何度も何度も読み返しました。今でも毎日手にとっては読み返し、掘り下げて読み込んでいます。読み返すたびに涙があふれてきます。愛するとはどういうことか。生きるとはどういうことか。私の思考や行動も変わりました。小説を読んだ感想をまとめてブログに書こうと思っているのですが、多くの要素が重層的に絡み合っており、感想の整理に時間がかかっています。

小説の感想はおいおい公開するとして、この小説をもとに製作された同名の映画が、今日地上波で放送されます。小説を読んだ直後とは、絶妙なタイミング!

映画は1年ほど前に公開されたようです。当然、その頃に映画とともに原作の書籍が大々的にPRされ、新聞紙面にも大きな広告が掲載されたはずですが、そのような広告を見た記憶はありません。私はベストセラーや映画化という宣伝文句をまったく無視して本を読むので、気がつかなかったのかも知れません。

原作に感動した直後ということもあり、今晩の映画が楽しみです。

ただし、映画では原作のストーリーがかなり省略されてしまうのでしょう。小説は (文庫本で) 360ページに及びますが、映画は上映時間をせいぜい2時間から3時間に収めなければなりません。角田作品の醍醐味 (だいごみ) のひとつに、丁寧で繊細な情景描写・心理描写によって生々しい感覚が呼び起こされる点が挙げられます。映画の中では、その丁寧な描写もすっかり省略されるか、ほんの数秒のシーンとして撮影され、じっくり味わう前に次の場面に移ってしまうこともあるでしょう。

原作を踏まえて映画を見ると物足りないかも知れませんが、映画には映画の表現があります。原作の忠実な再現にこだわるのではなく、原作で表現しようと意図されたことを映像の世界に写像する (パラフレーズする) ことが重要なのです。そのために、いくつかのエピソードが省略されたり、改変されたり、まったく別のエピソードが挿入されたりすることもあるでしょう。原作の存在はひとまず置いておいて、映画そのものを新しいひとつの作品として楽しむことにします。

今晩が待ち遠しい。大泣きは必定。

また走ろう

2011年11月18日 23時07分21秒 | 明日への一歩
20歳頃は、もっと早く治ったのになぁ。

風邪をひいて布団の中でおとなしくしている間、そんなことを考えもしました。

当時は、風邪をひきかけたと思ったら、栄養のあるものを食べて温かくして早寝すれば、翌朝には体調が回復していました。

ところが、今はそこまで簡単に治りません。

気づかないところで、体は少しずつ確実に衰えていくようです。

かつての爆発的なエネルギーもなくなってしまいました。

20歳くらいまでは、毎日毎日、自分自身が進歩した手ごたえを感じていました。何かに取りつかれたように全速力で走り続け、次々といろいろなことを学んでいきました。突進というのがふさわしい状態でした。

その後は、惰性で進んできた気がします。新しい分野をまったく開拓しなかったわけではありませんが、開拓のペースは学生の頃よりずっと遅く、範囲も狭く、以前と比べれば何もしていないに等しい状態です。春に通い始めたレッスンも、学生の頃なら、今の3倍も5倍もの量をこなしていたはずです。

ただし、以前よりも要領はよくなっています。

例えば、学生の頃は、外国語を勉強しているときに、過去に何度も辞書を引いた記憶があるのに頭に入っていない語句に遭遇したり、モデルリーディングを何度聞き返してもフレーズを聞き取れなかったりするたびに自分の力のなさに嫌気が差したものですが、今はそんなこともありません。ちょっとした要領さえつかめば簡単にできるようになると分かっているので、嫌気が差す前に練習を中断し、また思い出したときに再開します。学生の頃より肩の力が抜け、気楽に、効率的に取り組めています。

要領さえつかめば簡単だと悟ったのも、もがき苦しんだ経験があってのこと。人生は全部つながっていました。爆発的なエネルギーはなくなりましたが、失ってばかりでもないようです。

また走ろう。

小説「対岸の彼女」

2011年08月24日 23時25分10秒 | 明日への一歩
小説を手に取りました。

「対岸の彼女」(角田光代著)

選んだ理由は、私自身とよく似た人物が登場するかも知れないと思ったからです。私とよく似た人物が登場するかどうかは読んでみなければ分かりませんが、読まないことには何も始まりません。

私の心の中では、感情の周りを城壁が取り囲んでいます。私は他人の気持ちをくみ取ることも苦手なら、自分の感情を表現するのも苦手です。強い感情が絡んでくると、その感情をシャットアウトしたくなります。

今の私はふたつの課題を抱えています。

  • それなりに他者の感情をくみ取れるようにならなければいけない。

  • それなりに自分の感情を表現できるようにならなければいけない。

精神科の医師に相談したところ、自分とよく似た人物が登場する小説や映画を探して、その人物を演じてみることを提案されました。何か突破口が見つかるかも知れません。

その第1歩として手に取ったのがこの小説です。

引っ込み思案な高校生の葵 (あおい) と、何事にも動じずに「こわくない」と言い切るナナコ。小さなきっかけで友達になったふたり。このふたりの関係は、何だか私と大阪の女友達Sの関係にそっくりです。そんな共感も手伝って、小説の世界にのめり込み、のめり込み……

朝を迎えました。寝る前に少し読もうと手に取って、そのまま読みふけって、完徹してしまいました。

とにかく情景描写が圧倒的。登場人物の目に入る光景ひとつひとつにその人物の心情を丁寧に投影し、読者の胸の中にありありと再現していきます。私なぞ足元にも及ばないどころか足元に近寄らせてももらえないほどの超絶的な表現力。さすが作家は違う……と、技法にばかり目を奪われてもいけません。

途中のストーリー展開が急で、まだ登場人物の心理の変化についていけません。特に、ペンションでのアルバイトを終えた後、ナナコと行動を共にする中での葵の変化と、ラオスでの事件の後、小型トラックを停車させて足を踏み出すまでの葵の変化が急で、まだ私の中で消化できていません。

もっと読み込みましょう。