音楽関係の話から企業の経営姿勢に展開したついでに、もうひとつ。
2~3年前からミュージックファンドが新しい投資スタイルとして話題に上ることが増えてきました。
一般にミュージックファンドという言葉は「ミュージシャンによる楽曲に対する投資」という意味で使用されますが、狭義には株式会社ライツバンクの登録商標 (登録第4749812号) になっているので、同社の投資商品と区別するために、これ以降では音楽ファンドと呼ぶことにします。
世間にはミュージシャンを目指す人がたくさんいます。中には路上でのライブで人気を集める人もいますが、新人がメジャーデビューを果たすためには高い障壁を越えなければなりません。知名度が低い、CDを制作・販売する資金もノウハウもない、販売のための営業ネットワークもない……。
音楽ファンドは、このような新人がCDを制作・販売するための資金を投資家から募り、CDを販売した収益の一部を投資家に分配する投資商品です。概念上はCDの制作・販売に限らず、ライブやイベントなどにも適用できますが、現在の音楽ファンドはCDの制作・販売を目的としているようです。
似たような投資商品として、アイドルファンドというものもあります。アイドルファンドは、アイドルタレントの写真集やDVDなどを発売してその収益を分配します。ほかに、映画やゲームソフトに投資するファンドが設定されることもあります。いずれのファンドも商品の性格は似ているので、ここでは音楽ファンドに話を絞ります。
現在募集されている音楽ファンドの規模は、1件あたり総額数十万円から数百万円にわたっています。実際の募集にあたっては、これを1万円程度まで小口化することにより、一般の人でも出資できるようにしています。
ミュージシャンのファンになるのはほとんどが一般の消費者でしょうから、小口化は重要なポイントです……と言いたいところですが、実態としては、投資のことをよく知らない一般の人に販売できるように小口化せざるを得なかったのではないかと私は考えています。
音楽ファンドは、目の利く投資家が投資する商品ではありません。
音楽ファンドが登場する前は、芸能プロダクションが無名の新人を発掘しては売り込み、成長させてきました。
新人には、これからブレイクするかどうか分からないという大きな不確定要素があります。多くのファンを獲得してプロダクションの屋台骨にまで成長する人材がいる一方で、鳴かず飛ばずのまま消えていく人材も数知れません。プロダクションは、大当たりか大はずれかの極端な世界に身を置いてきました。
逆に言えば、プロダクションは、売れなかった人材につぎ込んだ費用を、売れた人材の収益でカバーしています。
損失を利益でカバーする考えは、新興企業への出資でも同じです。
新興企業のうち、生き残るのは1割もないと言われます。しかし、たとえ9割の企業に投下した資本を回収できなくても、残り1割の企業が急成長すれば損失をカバーして余りあるだけの収益を得られます。新興企業に投資するときには、トータルで利益を上げられるように投資先企業を選ぶ (ポートフォリオを組む) のが重要なポイントです。
銀行も、似たような方法で損失をカバーしています。
企業に資金を貸し付けると、必然的に一部の企業から融資を回収できない (貸し倒れが発生する) 危険性を背負うことになります。銀行は、利息収入で貸し倒れ損失をカバーできるように利率を決定します。もちろん、回収できない危険性が高いと判断すれば融資を断ります。
このように、投資というものは基本的に損失を別の利益でカバーするように行います。この点は芸能プロダクションも同じです。先ほど触れたように、売れなかった人材につぎ込んだ費用を、売れた人材の収益でカバーします。
そこに音楽ファンドが登場しました。
一見すると、今までプロダクションが背負ってきたリスクを一般投資家が対等な立場で負うように見えます。
しかし、本当に対等なリスクを負っているでしょうか。
現行の音楽ファンドは、CDを販売した収益から配当を支払う形をとっていますが、どれもこれも収益分配の期間が限定されています。
例えば、株式会社ライツバンクのWebサイトで募集された音楽ファンドの収益分配期間 (同社の呼び方では償還期間) は、ほとんどが1年程度に設定されています。その期間を過ぎると、たとえCDが売れても、そのミュージシャンが大ブレイクしたとしても、その収益は投資家に分配されません。
ミュージシャンの人気が出れば、プロダクションは本格的な売り込みをかけるでしょう。しかし、そのときにもあえて音楽ファンドを設定するとは考えられません。メジャーデビュー後に一般から出資を募らないとすると、その収益は所属プロダクションが享受することになります。
ここで、メジャーデビュー後の収益をプロダクションが享受することについて考えてみます。
新人に対する投資リスクは、デビュー時に特に大きくなります。新人には何の実績もなく、デビューさせても売れるかどうか分かりません。しかし、売り出さないことにはブレイクもしません。音楽ファンドを設定しない場合は、このリスクをプロダクションが負います。
一方、音楽ファンドを設定すれば、その最も高いリスクを一般投資家に負わせることができます。音楽ファンドで新人に実績を作らせ、実力と人気を見極めた上でメジャーデビューに導くとしたら、有望な新人をピンポイントで狙う一本釣り。プロダクションは、音楽ファンドという試金石を利用してリスクを劇的に下げることができます。
プロダクションにとって音楽ファンドとは、リスクを投資家に転嫁して大きなリターン (収益) を期待できる、夢のような仕組みなのです。
果たして、ミュージシャンの成長に伴う収益はプロダクションが独占するべきでしょうか。最もリスクの高い時期を支えた投資家も、その恩恵にあずかってしかるべきです。しかし、現状の音楽ファンドはそのような仕組みになっていません。
音楽ファンドに投資するということは、大ブレイクの収益を得る権利を放棄して立ち上げのリスクだけを負うということです。投資家にとっては、リスクに対してリターンが極端に低いのです。
プロの投資家が音楽ファンドに投資しない理由のひとつに、リスクに対するリターンの低さがあるのは間違いありません。
もちろん、機関投資家は音楽ファンドに投資しません。運用資産が数十億円から数兆円に及ぶ機関投資家にとって、1件あたり数百万円しかない音楽ファンドは細かすぎて投資できないという理由もありますが、たとえ音楽ファンドを100本まとめて3億円の規模にしても、機関投資家は手を出さないはずです。
機関投資家に限らず、それなりに勉強している投資家は、音楽ファンドではなく、プロダクションに直接投資するでしょう。そうすれば、大ブレイク時の収益も享受でき、リスクとリターンのバランスが取れますから。
もちろん、音楽ファンドへの出資は利益の追求だけではなく、好きなミュージシャンを応援するという側面も持っています。特定のミュージシャンのファンになったのなら、音楽ファンドに出資するのも悪くありません。ただし、上述の理由から音楽ファンドを「投資」と考えるわけにはいきません。出資金は「お楽しみ」の代金と考えるべきで、収益を期待するのは的外れです。
あちこちの新聞で音楽ファンドが新しい投資形態として紹介されているようですが、音楽ファンドの負の側面をクローズアップしている記事はまだ見たことがありません。
あなたは音楽ファンドに投資しますか?
2~3年前からミュージックファンドが新しい投資スタイルとして話題に上ることが増えてきました。
一般にミュージックファンドという言葉は「ミュージシャンによる楽曲に対する投資」という意味で使用されますが、狭義には株式会社ライツバンクの登録商標 (登録第4749812号) になっているので、同社の投資商品と区別するために、これ以降では音楽ファンドと呼ぶことにします。
世間にはミュージシャンを目指す人がたくさんいます。中には路上でのライブで人気を集める人もいますが、新人がメジャーデビューを果たすためには高い障壁を越えなければなりません。知名度が低い、CDを制作・販売する資金もノウハウもない、販売のための営業ネットワークもない……。
音楽ファンドは、このような新人がCDを制作・販売するための資金を投資家から募り、CDを販売した収益の一部を投資家に分配する投資商品です。概念上はCDの制作・販売に限らず、ライブやイベントなどにも適用できますが、現在の音楽ファンドはCDの制作・販売を目的としているようです。
似たような投資商品として、アイドルファンドというものもあります。アイドルファンドは、アイドルタレントの写真集やDVDなどを発売してその収益を分配します。ほかに、映画やゲームソフトに投資するファンドが設定されることもあります。いずれのファンドも商品の性格は似ているので、ここでは音楽ファンドに話を絞ります。
現在募集されている音楽ファンドの規模は、1件あたり総額数十万円から数百万円にわたっています。実際の募集にあたっては、これを1万円程度まで小口化することにより、一般の人でも出資できるようにしています。
ミュージシャンのファンになるのはほとんどが一般の消費者でしょうから、小口化は重要なポイントです……と言いたいところですが、実態としては、投資のことをよく知らない一般の人に販売できるように小口化せざるを得なかったのではないかと私は考えています。
音楽ファンドは、目の利く投資家が投資する商品ではありません。
音楽ファンドが登場する前は、芸能プロダクションが無名の新人を発掘しては売り込み、成長させてきました。
新人には、これからブレイクするかどうか分からないという大きな不確定要素があります。多くのファンを獲得してプロダクションの屋台骨にまで成長する人材がいる一方で、鳴かず飛ばずのまま消えていく人材も数知れません。プロダクションは、大当たりか大はずれかの極端な世界に身を置いてきました。
逆に言えば、プロダクションは、売れなかった人材につぎ込んだ費用を、売れた人材の収益でカバーしています。
損失を利益でカバーする考えは、新興企業への出資でも同じです。
新興企業のうち、生き残るのは1割もないと言われます。しかし、たとえ9割の企業に投下した資本を回収できなくても、残り1割の企業が急成長すれば損失をカバーして余りあるだけの収益を得られます。新興企業に投資するときには、トータルで利益を上げられるように投資先企業を選ぶ (ポートフォリオを組む) のが重要なポイントです。
銀行も、似たような方法で損失をカバーしています。
企業に資金を貸し付けると、必然的に一部の企業から融資を回収できない (貸し倒れが発生する) 危険性を背負うことになります。銀行は、利息収入で貸し倒れ損失をカバーできるように利率を決定します。もちろん、回収できない危険性が高いと判断すれば融資を断ります。
このように、投資というものは基本的に損失を別の利益でカバーするように行います。この点は芸能プロダクションも同じです。先ほど触れたように、売れなかった人材につぎ込んだ費用を、売れた人材の収益でカバーします。
そこに音楽ファンドが登場しました。
一見すると、今までプロダクションが背負ってきたリスクを一般投資家が対等な立場で負うように見えます。
しかし、本当に対等なリスクを負っているでしょうか。
現行の音楽ファンドは、CDを販売した収益から配当を支払う形をとっていますが、どれもこれも収益分配の期間が限定されています。
例えば、株式会社ライツバンクのWebサイトで募集された音楽ファンドの収益分配期間 (同社の呼び方では償還期間) は、ほとんどが1年程度に設定されています。その期間を過ぎると、たとえCDが売れても、そのミュージシャンが大ブレイクしたとしても、その収益は投資家に分配されません。
ミュージシャンの人気が出れば、プロダクションは本格的な売り込みをかけるでしょう。しかし、そのときにもあえて音楽ファンドを設定するとは考えられません。メジャーデビュー後に一般から出資を募らないとすると、その収益は所属プロダクションが享受することになります。
ここで、メジャーデビュー後の収益をプロダクションが享受することについて考えてみます。
新人に対する投資リスクは、デビュー時に特に大きくなります。新人には何の実績もなく、デビューさせても売れるかどうか分かりません。しかし、売り出さないことにはブレイクもしません。音楽ファンドを設定しない場合は、このリスクをプロダクションが負います。
一方、音楽ファンドを設定すれば、その最も高いリスクを一般投資家に負わせることができます。音楽ファンドで新人に実績を作らせ、実力と人気を見極めた上でメジャーデビューに導くとしたら、有望な新人をピンポイントで狙う一本釣り。プロダクションは、音楽ファンドという試金石を利用してリスクを劇的に下げることができます。
プロダクションにとって音楽ファンドとは、リスクを投資家に転嫁して大きなリターン (収益) を期待できる、夢のような仕組みなのです。
果たして、ミュージシャンの成長に伴う収益はプロダクションが独占するべきでしょうか。最もリスクの高い時期を支えた投資家も、その恩恵にあずかってしかるべきです。しかし、現状の音楽ファンドはそのような仕組みになっていません。
音楽ファンドに投資するということは、大ブレイクの収益を得る権利を放棄して立ち上げのリスクだけを負うということです。投資家にとっては、リスクに対してリターンが極端に低いのです。
プロの投資家が音楽ファンドに投資しない理由のひとつに、リスクに対するリターンの低さがあるのは間違いありません。
もちろん、機関投資家は音楽ファンドに投資しません。運用資産が数十億円から数兆円に及ぶ機関投資家にとって、1件あたり数百万円しかない音楽ファンドは細かすぎて投資できないという理由もありますが、たとえ音楽ファンドを100本まとめて3億円の規模にしても、機関投資家は手を出さないはずです。
機関投資家に限らず、それなりに勉強している投資家は、音楽ファンドではなく、プロダクションに直接投資するでしょう。そうすれば、大ブレイク時の収益も享受でき、リスクとリターンのバランスが取れますから。
もちろん、音楽ファンドへの出資は利益の追求だけではなく、好きなミュージシャンを応援するという側面も持っています。特定のミュージシャンのファンになったのなら、音楽ファンドに出資するのも悪くありません。ただし、上述の理由から音楽ファンドを「投資」と考えるわけにはいきません。出資金は「お楽しみ」の代金と考えるべきで、収益を期待するのは的外れです。
あちこちの新聞で音楽ファンドが新しい投資形態として紹介されているようですが、音楽ファンドの負の側面をクローズアップしている記事はまだ見たことがありません。
あなたは音楽ファンドに投資しますか?
ERIKAのCD「FREE」を予約しましたが、手に入るのは早くて7月3日。まだ1週間も先です。それまで指をくわえて待っているのは耐えられません。YouTubeにプロモーションビデオがアップロードされていたので、CDが手に入るまではこれを聞いて楽しむことにします。
YouTubeは著作権の問題が取りざたされ、規制も議論されていますが、予約したもののまだ発売されていない曲を聞いて楽しむのは構わないでしょう。実際に聞いてみてCDやDVDの購入に至るケースも多いはずです。
ところで、なぜコピー品で満足してしまう消費者がいるのでしょうか。私は、コピー品で満足されてしまうのは元々のクオリティが低い証拠だと考えています。本当にいいものならお金を出すはずです。1週間ほど聞くと飽きてしまうような曲に誰がお金を出すでしょうか。
音楽も大量生産大量消費の流れがすっかり定着し、ほとんど使い捨て (聴き捨て?) の様相を呈しています。音楽業界は次から次へと歌手やバンドをデビューさせては矢継ぎ早に新曲を発表させます。その中で、5年後、10年後、20年後にも受け継がれる曲は果たしてどれくらいあるでしょうか。記憶に残るミュージシャンは何人いるでしょうか。楽曲だけでなく、人間であるミュージシャンも使い捨てになっています。
また、最近のテレビアニメは、最終回に至るまでに主題歌が何回か入れ替わります。主題歌が変わるたびに、視聴者がCDやら着メロやら着うたやらダウンロードやらにお金をつぎ込み、制作元がもうかる仕組みになっています。そこまでして売上を立てなければならないのでしょうか。
中古CDショップの店頭では、CDが100円や200円で投げ売りされています。音楽業界は大量に販売されたCDの末路をどう考えているのでしょう。
消費者の財布の中身を何とかして搾り取ろうと躍起になる音楽業界。あまり利己的な経営姿勢に走ると、消費者は離れてしまうのですが。
消費者の音楽離れは、かつて小室哲哉が経験しています。
当時、既にカラオケが娯楽として一般化していました。カラオケは社交のひとつとして定着しており、サラリーマンやOL、学生などが交流する場になっていました。
消費者は、カラオケで互いに歌を披露し合います。難しい曲を歌えれば皆の注目を集めることができます。しかし、難しい曲を歌いこなすには、それなりの練習が必要です。練習するためにはCDを買わなければなりません。
ただし、そのままではCDの販売数は増えません。歌を上手に歌えるようになれば、特にCDを買って練習する必要はなくなりますから、消費者は自分の聞きたいCDを買うだけにとどまり、カラオケのためにCDを買うことはなくなります。
これではCDが売れない。利益も拡大しない。
そこで考えられた戦略が、歌を少しずつ難しくしていくこと。そうすれば、消費者はいやおうなしにCDを買って練習せざるを得なくなります。
こうして、新曲が発表されるごとに、歌が少しずつ難しくなっていきました。
歌はどんどん難しくなり、ついには専門的な声楽の訓練を受けなければ発声できないほど音域が広がってしまいました。
それでも追従して歌いこなす消費者がいたことは驚異的ですが、多くの消費者の心は次第に小室ファミリーから離れていきました。
絶頂を極めた小室ファミリーが没落した背景には、このような消費者離れも潜んでいました。
音楽業界は小室ファミリーの件から何を学んだのでしょうか。そろそろ売り手の論理を優先して粗製濫造する姿勢を見直すべきではないでしょうか。
そう言えば、ゲーム業界も同じ失敗をしていました。ビデオゲーム (テレビゲーム) をどんどん難しくしていった結果、顧客が特定のマニア層に絞られてしまい、かえってマーケットが縮小したことがありました。
その反動か、現在ニンテンドーDS用として売り出されているゲームはかなり裾野 (すその) が広くなっています。ただし、脳トレと称して販売しているソフトが多いことが気がかりです。今、消費者の間には、認知症など脳の機能低下に対する危機感が広がっています。その危機感に乗じて脳トレゲームを販売する姿勢は、健康食品や化粧品の販売手法に通じるものがあります。
現代社会では、どの業界も消費者を食い物にしている気がしてなりません。
企業は、そこまでして業績を向上させ続けなければならないのでしょうか。拡大成長は永遠に続けなければならないのでしょうか。
純粋に聞きたいから聞く音楽、純粋に楽しいからプレイするゲーム、というものはごく少数です。そのような純粋に楽しむ商品は経営には組み込みにくいでしょうが、大切な柱のはずです。忘れないで欲しい。
YouTubeは著作権の問題が取りざたされ、規制も議論されていますが、予約したもののまだ発売されていない曲を聞いて楽しむのは構わないでしょう。実際に聞いてみてCDやDVDの購入に至るケースも多いはずです。
ところで、なぜコピー品で満足してしまう消費者がいるのでしょうか。私は、コピー品で満足されてしまうのは元々のクオリティが低い証拠だと考えています。本当にいいものならお金を出すはずです。1週間ほど聞くと飽きてしまうような曲に誰がお金を出すでしょうか。
音楽も大量生産大量消費の流れがすっかり定着し、ほとんど使い捨て (聴き捨て?) の様相を呈しています。音楽業界は次から次へと歌手やバンドをデビューさせては矢継ぎ早に新曲を発表させます。その中で、5年後、10年後、20年後にも受け継がれる曲は果たしてどれくらいあるでしょうか。記憶に残るミュージシャンは何人いるでしょうか。楽曲だけでなく、人間であるミュージシャンも使い捨てになっています。
また、最近のテレビアニメは、最終回に至るまでに主題歌が何回か入れ替わります。主題歌が変わるたびに、視聴者がCDやら着メロやら着うたやらダウンロードやらにお金をつぎ込み、制作元がもうかる仕組みになっています。そこまでして売上を立てなければならないのでしょうか。
中古CDショップの店頭では、CDが100円や200円で投げ売りされています。音楽業界は大量に販売されたCDの末路をどう考えているのでしょう。
消費者の財布の中身を何とかして搾り取ろうと躍起になる音楽業界。あまり利己的な経営姿勢に走ると、消費者は離れてしまうのですが。
消費者の音楽離れは、かつて小室哲哉が経験しています。
当時、既にカラオケが娯楽として一般化していました。カラオケは社交のひとつとして定着しており、サラリーマンやOL、学生などが交流する場になっていました。
消費者は、カラオケで互いに歌を披露し合います。難しい曲を歌えれば皆の注目を集めることができます。しかし、難しい曲を歌いこなすには、それなりの練習が必要です。練習するためにはCDを買わなければなりません。
ただし、そのままではCDの販売数は増えません。歌を上手に歌えるようになれば、特にCDを買って練習する必要はなくなりますから、消費者は自分の聞きたいCDを買うだけにとどまり、カラオケのためにCDを買うことはなくなります。
これではCDが売れない。利益も拡大しない。
そこで考えられた戦略が、歌を少しずつ難しくしていくこと。そうすれば、消費者はいやおうなしにCDを買って練習せざるを得なくなります。
こうして、新曲が発表されるごとに、歌が少しずつ難しくなっていきました。
歌はどんどん難しくなり、ついには専門的な声楽の訓練を受けなければ発声できないほど音域が広がってしまいました。
それでも追従して歌いこなす消費者がいたことは驚異的ですが、多くの消費者の心は次第に小室ファミリーから離れていきました。
絶頂を極めた小室ファミリーが没落した背景には、このような消費者離れも潜んでいました。
音楽業界は小室ファミリーの件から何を学んだのでしょうか。そろそろ売り手の論理を優先して粗製濫造する姿勢を見直すべきではないでしょうか。
そう言えば、ゲーム業界も同じ失敗をしていました。ビデオゲーム (テレビゲーム) をどんどん難しくしていった結果、顧客が特定のマニア層に絞られてしまい、かえってマーケットが縮小したことがありました。
その反動か、現在ニンテンドーDS用として売り出されているゲームはかなり裾野 (すその) が広くなっています。ただし、脳トレと称して販売しているソフトが多いことが気がかりです。今、消費者の間には、認知症など脳の機能低下に対する危機感が広がっています。その危機感に乗じて脳トレゲームを販売する姿勢は、健康食品や化粧品の販売手法に通じるものがあります。
現代社会では、どの業界も消費者を食い物にしている気がしてなりません。
企業は、そこまでして業績を向上させ続けなければならないのでしょうか。拡大成長は永遠に続けなければならないのでしょうか。
純粋に聞きたいから聞く音楽、純粋に楽しいからプレイするゲーム、というものはごく少数です。そのような純粋に楽しむ商品は経営には組み込みにくいでしょうが、大切な柱のはずです。忘れないで欲しい。
スバルの軽自動車ステラとR2のCMが今のお気に入りです。
CMのバックに流れる歌詞「君がいるだけで僕は飛べるよ。光さす場所へどこまでも……」が耳に残って離れません。ポジティブな歌詞が、前に進もうとする私の背中を押してくれます。今の私の気分にぴったり。
この力強くて透明感のある女性ボーカルが気に入ったので、Yahooの特別ページ (ERIKA Special Channel) で無料公開されていたプロモーションビデオを見てみました。あの、牛乳みたいな白い液体が横から飛んでくるビデオです。あ、あれは牛乳じゃなくてシャンパンか。(この文章を書いてる途中で気づくなんて、遅すぎるよね。)
何回も聞くうちに歌に魅了され、ついに7月4日発売のCDを予約することに。
CDを発売前に予約するなんて、生まれて初めてです。そもそも、新譜を買うのさえほぼ4年ぶり。それまでは、気になった曲があっても、ちまたの熱が冷めて中古CDが値下がりするまで待ち、あちこちの店を回って丹念にCDを探す形をとっていました。1年間に買うCDは少ないと1枚、多くても3枚ほど。しかも買うのはほとんど中古CD。新譜の予約は、「FREE」に対する私の熱の上げようを象徴する出来事です。
歌い手はERIKA。CMに出演している沢尻エリカとは顔も声もうりふたつ、生年月日も同じだが別人と紹介されています。
ところが、私がCDを予約したサイト (SonyMusicShop) では、「FREE」シングルについてこんな風に紹介していました。
あれれ? 当初はERIKAは沢尻エリカとは別人とされていたのですが、この紹介文には「TVCMソングとして本人出演でも話題の……」とはっきり書かれています。これは、ERIKAが沢尻エリカであると言っているのと同じこと。ちっとも謎じゃないじゃん。こんなに簡単にばらすのなら、最初から沢尻エリカとして売り出せばいいのに。ややこしいことするなぁ。
アイドルとしての人格と歌手としての人格を別にすることは悪いことではありません。自分の中にいる別の自分を具現したり、自分が持ついろいろな側面を独立した人格として表現したりする意図は理解できます。世の中には、作品の性格によっていくつものペンネームを使い分ける作家もいます (20もの名前を使い分けた作家もいるようです)。
ただし、使い分けるなら、つまらない破綻 (はたん) を起こさないように使い分けて欲しいものです。
CDが発売される7月4日にMTVで沢尻エリカとERIKAの対談を放送するとか。多くの人がERIKAを沢尻エリカとしか思っていない現状で、どのように番組を構成するつもりなのか気になります。
「FREE」は、曲自体は聞かせどころの多い曲ですが、曲の本質と関係ないところでごたごたを背負い込んでしまいそうで気がかりです。あえてこんな仕掛けを施すべきなのでしょうか。プロダクションの意図が読めません。
ERIKAと沢尻エリカの関係はともかく、この曲をきっかけにして私の関心が急に沢尻エリカに向いたのは確かです。
今まで沢尻エリカのことは全然知りませんでした。ドラマや映画に出演しているとは聞いていましたが、そのドラマや映画を見たわけでもなく、もちろん顔もよく知らず、テレビにアイドルが出演していても沢尻エリカかどうか分からないほどの無関心ぶりでした。
その私が、一転してこの熱中ぶり。
「FREE」は、聞けば聞くほど引き込まれる曲です。
女性ボーカルとして今の私のナンバーワン。
はっきり宣言します。
沢尻エリカのファンになりました。
今後、沢尻エリカを応援していきます。しょせんはアイドルだと高をくくっていたことを反省します。人を見た目で判断しちゃいけないね。ごめんなさい。
ちなみに、今お気に入りの男性ボーカルは……またの機会に。
CMのバックに流れる歌詞「君がいるだけで僕は飛べるよ。光さす場所へどこまでも……」が耳に残って離れません。ポジティブな歌詞が、前に進もうとする私の背中を押してくれます。今の私の気分にぴったり。
この力強くて透明感のある女性ボーカルが気に入ったので、Yahooの特別ページ (ERIKA Special Channel) で無料公開されていたプロモーションビデオを見てみました。あの、牛乳みたいな白い液体が横から飛んでくるビデオです。あ、あれは牛乳じゃなくてシャンパンか。(この文章を書いてる途中で気づくなんて、遅すぎるよね。)
何回も聞くうちに歌に魅了され、ついに7月4日発売のCDを予約することに。
CDを発売前に予約するなんて、生まれて初めてです。そもそも、新譜を買うのさえほぼ4年ぶり。それまでは、気になった曲があっても、ちまたの熱が冷めて中古CDが値下がりするまで待ち、あちこちの店を回って丹念にCDを探す形をとっていました。1年間に買うCDは少ないと1枚、多くても3枚ほど。しかも買うのはほとんど中古CD。新譜の予約は、「FREE」に対する私の熱の上げようを象徴する出来事です。
歌い手はERIKA。CMに出演している沢尻エリカとは顔も声もうりふたつ、生年月日も同じだが別人と紹介されています。
ところが、私がCDを予約したサイト (SonyMusicShop) では、「FREE」シングルについてこんな風に紹介していました。
謎の女性シンガー "ERIKA" デビューシングル!
パリ郊外で生まれ、ギターとともに何十年も音楽の旅を続けてきた "ERIKA" がシングル『FREE』でデビューする。沢尻エリカに顔も声もうりふたつだが、経歴は上記の通り。謎めいたデビューを飾る。
「SUBARU・軽」のTVCMソングとして本人出演でも話題のロックチューン『FREE』や、ハウス風のアレンジ曲『FANTASY』など、インストゥルメンタル含む全4曲を収録。
あれれ? 当初はERIKAは沢尻エリカとは別人とされていたのですが、この紹介文には「TVCMソングとして本人出演でも話題の……」とはっきり書かれています。これは、ERIKAが沢尻エリカであると言っているのと同じこと。ちっとも謎じゃないじゃん。こんなに簡単にばらすのなら、最初から沢尻エリカとして売り出せばいいのに。ややこしいことするなぁ。
アイドルとしての人格と歌手としての人格を別にすることは悪いことではありません。自分の中にいる別の自分を具現したり、自分が持ついろいろな側面を独立した人格として表現したりする意図は理解できます。世の中には、作品の性格によっていくつものペンネームを使い分ける作家もいます (20もの名前を使い分けた作家もいるようです)。
ただし、使い分けるなら、つまらない破綻 (はたん) を起こさないように使い分けて欲しいものです。
CDが発売される7月4日にMTVで沢尻エリカとERIKAの対談を放送するとか。多くの人がERIKAを沢尻エリカとしか思っていない現状で、どのように番組を構成するつもりなのか気になります。
「FREE」は、曲自体は聞かせどころの多い曲ですが、曲の本質と関係ないところでごたごたを背負い込んでしまいそうで気がかりです。あえてこんな仕掛けを施すべきなのでしょうか。プロダクションの意図が読めません。
ERIKAと沢尻エリカの関係はともかく、この曲をきっかけにして私の関心が急に沢尻エリカに向いたのは確かです。
今まで沢尻エリカのことは全然知りませんでした。ドラマや映画に出演しているとは聞いていましたが、そのドラマや映画を見たわけでもなく、もちろん顔もよく知らず、テレビにアイドルが出演していても沢尻エリカかどうか分からないほどの無関心ぶりでした。
その私が、一転してこの熱中ぶり。
「FREE」は、聞けば聞くほど引き込まれる曲です。
女性ボーカルとして今の私のナンバーワン。
はっきり宣言します。
沢尻エリカのファンになりました。
今後、沢尻エリカを応援していきます。しょせんはアイドルだと高をくくっていたことを反省します。人を見た目で判断しちゃいけないね。ごめんなさい。
ちなみに、今お気に入りの男性ボーカルは……またの機会に。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=6.3, SS=1/60s), -0.3EV (Spot metering), ISO200, WB=Sunny (-2), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)
毎月1回の蔵出し企画として、1年前に撮った写真を振り返っています。今回は2006年6月に掲載した写真から5枚を選びました。1年前に撮った写真を見返して、撮影スタイルや趣向の変化を振り返ります。
写真を撮るようになって、細かいものにも目を向けるようになりました。
このときは、春に花を楽しんだ桜を再訪してさくらんぼを探してみたもの。ソメイヨシノは食用の品種でもなければ種で増える品種でもありませんから、さくらんぼがなっていないかも知れないと、あまり期待せずに公園を訪れました。予想はいい方向に裏切られ、ちゃんと実がなっていました。生き物に宿る力はすごいものです。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=4.2, SS=1/6400s), +0.3EV (Matrix metering), ISO800, WB=Sunny (-1), f=50mm (35mm-equivalent: 75mm)
逆光の緑を見るとその透明感にほれ込んでしまい、撮りたくて仕方なくなります。水のきらめきが加われば なおさら。
水のきらめきは、どのくらい絞るか悩みます。早く自分なりの目安を確立できると撮りやすくなるなぁ。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=13.0, SS=1/640s), +0.3EV (Matrix metering), ISO800, WB=Flash (-2), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)
観察しながら歩いていると、小さな虫を見つけることがあります。小さな小さな命が、自分に与えられた時間でおいしいものを食べ、空を飛び、素敵な恋人を見つけて、命をまっとうします。
自分の持つ力を振り絞って、自分に与えられた時間を最後の最後まで懸命に生きる。
自然は厳しいだけじゃない。命は楽しむもの。そう、命は自ら楽しむもの。命を楽しむには、自分が楽しもうとしなきゃ。
お気に入りのバラの花を見つけて潜り込んだハナムグリ。私にとってもこの写真はお気に入り。被写体にこれだけ寄っても、F13で意外と被写界深度が稼げることが分かりました。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Programmed AE (F=13.0, SS=1/500s), -0.3EV (Matrix metering), ISO200, WB=Sunny (+0), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)
普段、ずっとパソコンに向かう仕事をしているので、体をあまり動かしません。体を動かして体力をつけようと、カメラを持っての散歩を始めました。特に夏は、川風のにおいをかぎながら歩くと気持ちいい。
水面で跳ねる光をとらえるのは難しいです。少し露出を変えるだけで表情ががらりと変わります。このときはプログラムAEで絞りをカメラ任せにして撮影。カメラ任せにしたら、F13まで絞り込んでくれました。絞り込むのって、意外といい雰囲気に仕上がるなぁ。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=5.0, SS=1/200s), 0.0EV (Matrix metering), ISO200, WB=Sunny (-1), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)
去年盛大に咲いていたラベンダー。二線ボケも美しいことに気づいた写真。一般に二線ボケは汚いとして敬遠されますが、この頃の写真を見返して、つくづく写真は自由だと感じました。
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