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訓読み廃止論・1

2013年07月31日 23時03分01秒 | お仕事・学び
漢字の訓読みにずっと疑問を持ってきました。特に、ひとつの日本語に対して多くの漢字を使い分けて表記する点に納得がいきませんでした。例えば、「みる」という言葉にはさまざまな漢字が使われます。
見る・視る・観る・診る・看る・監る
もちろんこれは例に過ぎず、「みる」の表記はこれに限りません。「みる」というひとつの言葉を何通りにも書き分けていますが、これらの意味はいずれも、物を視覚的にとらえる意味から派生したものであり、本質的な違いはありません。

意味によるこのような文字の使い分けは日本語に独特の表記法です。英語では、ひとつの語源から派生した同音の単語をさまざまに書き分けることはありません。seeはあくまでseeであり、「判断する」という意味の場合はこの綴り、「調べる」という意味の場合はこの綴り、……と意味に応じて別の綴りで書き分けることはありません。視覚でとらえるという意味の単語はseeのほかにもlook、view、watchなどいくつもありますが、いずれも意味が異なり、発音も異なり、英語を母語とする人はそれぞれの単語を別の概念として認識しています。今まで英語、フランス語、中国語、タイ語と勉強してきましたが、どの言語も、同じ語源で発音も同じ単語を意味によって何通りにも書き分けることはしません。これに対して日本語では、ひとまとまりの概念を複数の漢字で書き分けます。かなり特殊な表記法を持つ言語です。

ただし、あまり多くの漢字が使用されても実用的でないということで、日常生活に使う漢字の指針として常用漢字表が策定されています。前記の「みる」であれば、常用漢字表に掲げられている訓は「見る」「診る」だけであり、書き分けは容易です。しかし、日常的によく使う言葉には書き分けが困難なものもあります。その筆頭は「かわる」でしょう。「かわる」は常用漢字表でも
変わる・代わる・換わる・替わる
と書き分けることになっていますが、いずれも語源は同じであり、書き分けの基準に照らしてもどの字を使うべきか判断がつかないことがあります。文章を書く作業がこんなことで中断されなければならないなんて、日本人とは何と不便な民族なのでしょう。

そもそもの問題は強引な漢字の書き分けにあります。中国人にとって変・代・換・替はそれぞれ別の概念であり、意味が明確に区別されるとともに発音も異なりますが、日本人にとって「かわる」の語源はひとつであり、「かわる」の概念はひとつです。そこから派生した語義は相互の境界が不明確であり、互いに重なり合う領域が多く存在します。書き分けることに無理があります。

かつて漢文を訓読していた頃は、何とかして元の中国語に日本語を当てはめる必要がありました。複数の漢字に同じ日本語を当てる場面が出てくるのは当然です。しかし、現代の日本語で和語 (外来でない、日本語固有の単語) を漢字に当てはめる必要はあるのでしょうか。

高校生の頃に、なぜ日本語でひとつの概念であるはずの単語をさまざまな漢字で書き分けるのか国語の教師に聞きましたが、明確な答えは得られませんでした。

(次回に続く)

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-10-13 01:17:08
おなじ語源のことばらをちがう漢字でかくことで分断してしまうのも問題です。
「いそがしい」は「いそぐ」の派生語なのに「急ぐ」「忙しい」と書くと,無関係なことばに思えてしまう。「急がしい」と書くか,かながきにすべきです。おなじく「ぬる」と「ぬれる」も「塗る」と「濡れる」ではなく「塗れる」でないと。
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Unknown (hknmst)
2019-01-11 00:14:40
あなたの主張に全面的に賛成です。
わたしも自分のブログでは訓よみを完全に廃止してすべてかながきにしています。熟字訓なんてもってのほかです。
木耳を「きくらげ」とよめなんてくるってます。「耳」が「くらげ」になってしまいますから。「うるさい」を「五月蠅い」とかくとえらいんでしょうか。ハリウッドを「聖林」とかいてなにがうれしいんでしょう?
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