(前回から続く)
訓読みには、同源の語を無理に書き分ける点のほかにも問題があります。日本語では複合語 (複数の単語から構成された語) であっても、その意味が漢字1字に対応する場合は、その1字で表記されてしまいます。結果として、日本語の元の意味が隠されてしまいます。いくつか例を挙げます。
さらに日本語では熟字訓 (当て字) も発達しています。熟字訓とは、漢字の本来の音に無関係に読みを当てるものです。
文字を使用して他者に情報を伝達する場合は、相手がその文字を読めなければなりません。熟字訓は、それぞれの漢字の読みを知っているだけでは読めないという点で漢字本来の使用法から逸脱しています。読めない文字に情報伝達の機能を期待することはできないので、私は熟字訓を極力使わないようにしています。このブログでも、使用する熟字訓は「今日」などごく一部に限っています。さらに最近では、熟字訓に反対する私の意志をこのブログの前面に出しています。例えば、常用漢字表の付表では「一人」(ひとり) という熟字訓も認められていますが、熟字訓反対の意志を前面に出すことに決めてから、「一人」とは書かずに必ず「ひとり」と書いています。
まとめると、漢字の訓には以下の大きな問題点があります。
しかし、現代の日本語では漢字の訓読みが採用されており、文章を書くときも訓を使用することになっています。言語の重要な機能として、情報を他者に伝達する機能があります。伝達のためには、自分が納得していなくても、共通の規則に従って文章を書かなければなりません。今まで、その慣習に従ってこのブログでは訓も使用してきました。しかし、これは私個人のブログです。学会誌に投稿する論文ではありません。訓読みに反対する考えを持つなら、それを反映させましょう。
私は日本語が大好きです。大好きな日本語が訓読みの呪縛を振りほどけないことが残念でなりません。今後は可能な限り訓を排除しようと決めました。説明や解説の記事は、今までどおり訓を使用します。それ以外の、自分が感じたことをつらつらと書く場合など、他者への伝達を目的としない文では訓読みを使用せず、和語をひらがなで表記することにします。ただし、固有名詞は訓読みであっても元の漢字表記を使用します。ひらがなを多用するために文節の区切りが分かりにくくなる場合は空白を入れます。
訓読みには、同源の語を無理に書き分ける点のほかにも問題があります。日本語では複合語 (複数の単語から構成された語) であっても、その意味が漢字1字に対応する場合は、その1字で表記されてしまいます。結果として、日本語の元の意味が隠されてしまいます。いくつか例を挙げます。
湖 ← みず + うみ
掌 ← て + の + ひら
志す ← こころ + さす
試みる ← こころ + みる
承る ← うけ + たまわる
さらに日本語では熟字訓 (当て字) も発達しています。熟字訓とは、漢字の本来の音に無関係に読みを当てるものです。
百日紅 (さるすべり)
海老 (えび)
他人事 (ひとごと)
今日 (きょう)
一人 (ひとり)
文字を使用して他者に情報を伝達する場合は、相手がその文字を読めなければなりません。熟字訓は、それぞれの漢字の読みを知っているだけでは読めないという点で漢字本来の使用法から逸脱しています。読めない文字に情報伝達の機能を期待することはできないので、私は熟字訓を極力使わないようにしています。このブログでも、使用する熟字訓は「今日」などごく一部に限っています。さらに最近では、熟字訓に反対する私の意志をこのブログの前面に出しています。例えば、常用漢字表の付表では「一人」(ひとり) という熟字訓も認められていますが、熟字訓反対の意志を前面に出すことに決めてから、「一人」とは書かずに必ず「ひとり」と書いています。
まとめると、漢字の訓には以下の大きな問題点があります。
- 語源が同じ単語を無理に書き分ける。
- 日本語の元の意味が隠されてしまう。
- 熟字訓は漢字本来の用法から逸脱しており、読めない。
しかし、現代の日本語では漢字の訓読みが採用されており、文章を書くときも訓を使用することになっています。言語の重要な機能として、情報を他者に伝達する機能があります。伝達のためには、自分が納得していなくても、共通の規則に従って文章を書かなければなりません。今まで、その慣習に従ってこのブログでは訓も使用してきました。しかし、これは私個人のブログです。学会誌に投稿する論文ではありません。訓読みに反対する考えを持つなら、それを反映させましょう。
私は日本語が大好きです。大好きな日本語が訓読みの呪縛を振りほどけないことが残念でなりません。今後は可能な限り訓を排除しようと決めました。説明や解説の記事は、今までどおり訓を使用します。それ以外の、自分が感じたことをつらつらと書く場合など、他者への伝達を目的としない文では訓読みを使用せず、和語をひらがなで表記することにします。ただし、固有名詞は訓読みであっても元の漢字表記を使用します。ひらがなを多用するために文節の区切りが分かりにくくなる場合は空白を入れます。
わたしの ブログでは すでに 3年前から 訓よみの 漢字を すべてなくしています。それに 対して 質問や 苦情などを うけたことは ありません。
ほんとうは わかちがきも とりいれたいのですが。
言語を一対一対応できるものとして本来の日本語なるものを目指す試みは、片目で世界を認識するような極めて恣意的なものに思えます
貴方個人が訓読みを用いないと決めて実践されるのは勝手ですが、その根元には何ら言語について理解していない姿勢がついて回っているということを認識したうえで、行ってくださいね