みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

感情の周りの壁

2011年08月12日 23時25分16秒 | 明日への一歩
人の気持ちをくみ取るのが苦手です。

突然ですが、私は人の気持ちをくみ取るのが苦手です。

テレビドラマはつまらないので見ません。強制的にテレビドラマを見せられたことがありますが、とにかくつまらなかったという感覚だけが残っています。劇中で、いちいち激しい感情をむき出しにしてぶつけ合うことに嫌悪感を抱きます。普段の生活でいちいち感情をぶつけ合うことはないはずです。あまりに現実離れしすぎています。むやみやたらに取っ組み合いが始まることも理解できません。しかも、お互いに腕を取り合ってヨロヨロと左右に動いて倒れるだけで、およそケンカしているようには見えないのです。

劇団四季の有名なミュージカル「キャッツ」にも強制的に連れていかれたことがありますが、まるでつまらない演劇でした。ぼろぼろの衣装を着た人が舞台の上に集まって大声を出していたという記憶しか残っていません。

小説も読みますが、登場人物の気持ちをくみ取れないことが多いです。特に恋愛小説は苦手中の苦手です。過去に何度か挑戦しましたが、つまらないことこの上なし。

少し前に読んだ小説は、ガンを患う主人公の話でした。恋愛小説ではありませんが、登場人物の心情はまるで理解できませんでした。ガンを発症した主人公の女性が意地を張るのも、取り乱すのも、夫と距離を置くのも、距離を置かれた夫が孤独にさいなまれるのも、共感するどころか、まったく理解できませんでした。

先日もある海外文学の日本語訳を読んだのですが、登場人物の心情は理解できませんでした。

情景描写はよく理解できます。その場面が映像としてありありと頭に浮かびます。しかし、主人公が愛を語り始めると、今まで浮かんでいたイメージが雲散霧消し、頭が真っ白になって、何も浮かんでこなくなりました。何度読み返しても同じです。情景はよくイメージできますが、心情はまったくつかめません。

私は、人の気持ちをくみ取ることができないのです。

そして、感情のぶつかり合いを避けようとします。特に、激しい感情をむき出しにする人は苦手です。どう対処していいか分かりません。たとえ仲がいい友達であっても、激しい感情を見せられると、その瞬間に苦手な人物に転換します。以前、仲がよかった友達も、私の前で大泣きを始めた途端、私の頭の中でスイッチが切り替わりました。「この人とは付き合えない」。その後、しばらくしてその子と縁を切りました。

人の感情を拒絶するだけでなく、自分の感情も表現しようとはしません。感情を表現することは無意味だと感じています。周囲の人とは、常にある程度の (普通の人から見れば遠い) 心理的距離を確保しようとします。周囲の人は、たまたま今の時点で近くにいるに過ぎません。遅かれ早かれ私と離れることになる人です。親密な関係を築く必要はありません。

人の気持ちをくみ取れないことと感情を拒絶することには、何らかの関係がありそうです。

精神科の医師に会う機会があったので、このことについて相談してみました。

それなりに人の感情を理解できるようになりたい、と。

医師からは、この壁を乗り越える方策として、ひとつの案を提示されました。

私とよく似た人物が登場する小説や映画などを見て、その人物を演じてみること。

医師の話では、
  • 幼い頃の体験が影響している可能性がある。

  • 登場人物を演じているうちに、幼い頃に自分が経験した感情がよみがえってくるかも知れない。

  • 大量の感情が噴き出してくることがあるが、一時的なもので、じきに落ち着く。

  • 自分が意図して演じる分には、感情のコントロールができなくなることはないはず。

  • ただし、意図しない外的刺激があると、うまく対処できず、自分の感情さえコントロールできなくなることがある。


とりあえず、自分とよく似た人物が登場する小説を探しています。何か突破口が見つかるかも知れません。

現代人の必須スキル

2011年04月28日 21時50分22秒 | 明日への一歩
昨日の記事に関連して、現代人に必須のスキルについて触れておきます。

今の時代は、自分が進む道を自分で自由に選べます。

しかし、選べるがために、かえって迷う人が多いようです。

私が4月から通い始めたスクールでは、ある受講生が、スクールに入ったものの早くも自信をなくして受講をやめようとしていました。行きつけの美容院には、美容学校に通いながらも、将来への不安から美容師への道をあきらめようとしていた子もいました。

現代人は、選択肢が多いために、かえって選択しきれないことがあるようです。

かつて、人生の選択肢は限られていました。

原始時代には、獣を追い、魚を捕り、木の実や貝を拾う以外に生活の手段はありませんでした。

中世に入っても、多くの人は親の世代からの農業をそのまま引き継いだり、奉公に出されたり職人に弟子入りさせられたりしました。自分で道を選ぶのではなく、ほかに選択肢がないままに道を進むことが多かったはずです。

ほかに選択肢がなかったため、それを極めるしかありませんでした。結果として、わき目をふらずに一直線に道を進み、十分な技能を身につけることになりました。

対して、現代では、自分が進む道を自由に選ぶことができます。

道を自由に選べる現代と、選べなかった中世。

どちらが幸福でどちらが不幸という話ではありません。

自由を得た現代人は、自由を上手に使う能力も要求されているということです。

人は、生まれる時代や地域を選ぶことができません。誰もこの時代のこの地域に生まれようと意図して生まれてきているわけではないでしょう。

生まれる時代を選べない以上、生まれた時代に適応する必要があります。

時代に応じて、その時代を生き抜く知恵というものがあります。

現代という時代に生まれて自由を手にしたのであれば、その自由を上手に使うスキルも身につけなければなりません。自由は、強大な力を秘めています。上手に使わなければ、その力に振り回されてしまいます。

しかし、自由の使い方は誰も教えてくれません。

親が教えてくれるわけでもなければ、学校でも教えてくれません。

当然です。

今20歳前後の人たちの親は、50歳前後です。その親たちが社会に出た時期は、今から30年ほど前のこと、つまり1980年頃です。この頃は、まだ経済は右肩上がりに成長し続けると信じられており、学校を卒業したら会社に就職してその会社で一生を終えるという考え方が幅を利かせていました。今の親たちは、自由をどう使うかを考えなくても生きることができたのです。そのような世代に育てられた子供たちは、当然のことながら、自由の使い方を教わっていません。親の側も、自由の使い方を教えなければならないなどとは全然考えていなかったはずです (だから、偏差値の高い高校・大学に入学して高い成績をおさめ、大企業に就職するのがよいという人生観が出てくるのです)。

今の若い人たちは、自由の使い方を自力で模索し、会得しなければなりません。

自分で学ばなければならないのです。

なぜって?

自由な世の中だから!

くじけそうな あなたへ

2011年04月27日 23時24分51秒 | 明日への一歩
4月からスクールに通い始め、レッスンで出される課題を順調にマスターしつつあります。

一方で、さっそく波乱もありました。

4回目のレッスンを終えた日の帰り道。まだ初回のレッスンから11日後のことでした。

いつも駅まで一緒に帰る子が、やけに暗く沈んでいました。

もうレッスンに通うのをやめたいと言います。

その日のレッスンで、その子は課題をこなせずにグダグダでした。課題は1回目のレッスンで提示されたものでしたが、その子の出来栄えは何も教わっていない状態と変わらず、講師から事細かにダメ出しをされる始末。当人は、レッスンの足を引っ張ってしまったと大変な負い目を感じていました。

帰り道、ぽつりぽつりと弱音を漏らすうちに、もともと趣味で始めたことだと言い出しました。結婚のことも頭をよぎるようです。

このスクールはカルチャースクールではありません。プロを目指す人が学ぶ場所です。別に続けようがやめようが構わないのですが、続けるかやめるかを決める前に考えるべきことが ふたつあります。

第1のポイントは、スクールに通おうと決めた理由。

自分がこの道に進もうと思ったのは、心の底からわき上がった意欲からか、漠然としたあこがれからか。

薄っぺらい考えからスクールに通い始めたのであれば、現実の厳しさを目の当たりにした時点で身を引くのが賢明です。無駄に月謝を払い続けることになりますし、レッスンに通う時間ももったいない上に、やる気のある他の受講生の足を引っ張ってしまいます。

本心からスクールに通い始めたのであれば、次にもうひとつ考えなければなりません。

今の「やめたい」という気持ちはどのような感情によるものか。

ここを冷静に判断しないと、道を誤ります。

死に物狂いで努力したが、自分の力ではとても及ばない世界だと悟ったのか。

スランプに陥って進むべき道を見失っているのか。

講師から大量のダメ出しをされて落ち込んだことによる一時的な弱音なのか。

レッスンと日常生活のバランスを上手にとることができず、疲れがたまって心が弱くなっているのか。

レッスンを続けるかやめるかを決める前に、この2点について考えて欲しいものです。すぐに答えを出す必要はありませんし、すぐに答えが出るものでもありません。自分とじっくり向き合い、心の底からわき上がる声に耳を傾けるには、それなりに時間が必要です。自分の本心を確認して覚悟を固めた暁 (あかつき) には、信じられないほど強い人になっていることでしょう。

壁に突き当たるたびに別の道に移っていては、すべて中途半端で終わってしまい、何ひとつ成し遂げることはできません。しかし、壁に突き当たるとすぐに別の道に乗り換える人は大勢います。女性の場合は、男性に依存して生きるという安易な逃げ道があるため、余計に始末が悪いです。

責任ある決断を背筋に通して歩む人間になるか、うわついたその他大勢の中のひとりになるか、彼女にとって今が勝負どころです。選択するのは本人です。どちらの道も自由に選択できます。ただし、選択した結果は本人が背負わなければなりません。

彼女へのアドバイスはこの程度にしておきましょう。彼女ももう大人です。それに、私に精神的に依存されても困ります。彼女が本気で物事を考える人間になってくれたら、言動が変わるはずです。

世の中には、本当に取り組むべきことに取り組まず、自分にとって心地よいことばかりに手を出して、的を外しているという現実を見ようとしない人が大勢います。そのような人に限って言いわけだけは立派です。いちいち付き合ってはいられません。

そう言えば、以前に将来への不安を口にしていた美容師の卵がいました。あの後、数ヶ月で姿を見なくなりましたが、今はどうしているのでしょうか。別の店舗に配置転換されただけならよいのですが。

真剣勝負

2011年04月19日 21時51分31秒 | 明日への一歩
4月からスクールに通っています。

受講を申し込んだときに、用意しておくようにと講師から本を紹介されました。その本は、申し込み当日の帰路にすぐ書店で探し、買いました。

さっそく開いてみて、半ば呆然 (ぼうぜん)。マスターすべきことがあまりに多くて、途方にくれることしばし。

えらいことを始めちゃったなぁ。

しかし後には引けません。乗りかかった船、と言うより、既に乗ってしまった船です。覚悟を決めて進むことにしました。

スクールには週2回通います。目指す目標ははるか先です。レッスンで教わったことは次のレッスンまでに確実にマスターしなければ、遅れをとってしまいます。

私は、スクールは何かを教えてもらう場所だとは考えていません。学習の基本は自学自習だと考えています。レッスンは、

  1. 自習中に出てきた疑問について講師に質問し、

  2. 自習の成果を講師に確認してもらってマスターできていない点を洗い出し (ダメ出しをもらい)、

  3. 次にクリアするべき課題を明確にする (または新しい課題を出してもらう)

場です。私が通う講座のレッスンは1回1時間半と短く、あっという間に過ぎてしまいます。おまけに、レッスンは週に2回しか設定されていません。1回1回のレッスンを無駄にはできません。レッスンは毎回真剣勝負です。

毎回毎回、レッスンを終えてから次のレッスンに出るまでにマスターすべきことが多くて結構大変です。

レッスンを終えた帰りは、早くも電車の中で復習を開始します。新しい課題が配布されたときは、家に帰ってすぐ机に向かい、一通り目を通して、翌日すぐに練習を始められるように備えておきます。お風呂上がりに軽く練習することもあります。過去には、練習に夢中になって、気づいたときには深夜になっていたこともありました。あまり根を詰めると翌日に響くので、今はほどほどを心がけています。

ハードですが、充実しています。

障害にわくわく

2011年04月03日 23時04分24秒 | 明日への一歩
先日、スクールに出向いて、正式に受講を申し込んできました。

いよいよ動き始めました。

3月初め頃にスクールを見学したときには、自分が入るべき世界なのか自問しました。

自分との対話を重ねて、最終的に、行きたい道を進むことに決めました。ずいぶん前から興味を持っていた分野です。人はそれを「夢」と呼びますが、私にとって夢という感覚はありません。手を伸ばしてすぐに届く範囲にはありませんが、目標に続く道がどの方向に延びているかは嗅 (か) ぎ取れます。はっきりとした姿は見えませんが、霧の向こうに存在さえ感じ取れないほどではありません。

いよいよ動き出しました。

決意を固めて一歩を踏み出しました。同時に、厳しい世界に漕 (こ) ぎ出したことも意味します。

もう後には引けません。次々と目の前に現れる障害をクリアしていくほかありません。

mokren00.jpg: ハクモクレン

帰り道、見上げるとハクモクレンの花。無数の細い枝を、少しくすんだ青い空に向かって垂直に伸ばしています。

わくわくしてきました。

歯車を回し始めました。重い重い歯車を、全体重をかけて回し始めました。歯車は、ゆっくりですが、確かに回り始めました。回転は、じきに勢いを増すはずです*

どんな障害が待ち受けているでしょうか。楽しみです。さあ、来い! どんな障害でも乗り越えてやろうじゃないの。

長らく忘れていた感覚です。

私はこうでなきゃ。

講師から紹介された本をさっそく買ってきました。開くと、予想もしなかった課題がいくつも出てきました。ふーん、これが最初のハードルか。クリアしてやろうじゃないの。
*  *  *

もう後には引けない、前に進むしかない、という実感を言葉に表した直後に、ふと気づきました。よくよく考えてみれば、いつでもやめられるんですよね。しかし、私の頭には、途中で放り出すという選択肢が最初からなかったようです。今は前に進むことしか考えていません。

*ハムスターみたい……。