みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

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34年前から続く“日本語の乱れ”

2013年04月07日 22時49分51秒 | お仕事・学び
中学校で初めて英語の授業を受けて、言語の魅力にとりつかれてしまいました。今でも言語への関心は強く、関連した本を手に取ります。

先日読んだ1冊は「アテレコあれこれ ― TV映画翻訳作家うちあけ話」(額田 やえ子 著、ジャパンタイムズ)。昭和54年9月1日出版の古い本ですが、英語音声を日本語に吹き替えるための翻訳に携わってきた著者が、苦労話とともに翻訳のエッセンスも伝えてくれます。

その中に、面白い記述がありました。まずは87ページから。
 日本語が乱れていると、よく言われる。「見れる」、「着れる」というあの言葉を聞くと、ぞっとするという友人がいるけれど、…(略)…

この記述は、いわゆる「ら抜き言葉」に触れたもの。ら抜き言葉とは、「見られる」や「着られる」と言うところで「ら」を省略して「見れる」、「着れる」と言う現象のことです。この本のあとがきは昭和54年7月となっています。つまり1979年の7月。実に34年も前から「ら抜き言葉」をなげく声があったわけです。

さらに249ページでは別の現象も指摘されています。
…(略)… 数の数え方だって、最近は何でも一個、二個というけれど、人間なら一人、動物なら一頭、一匹、一羽、と大きさによってまで区別があり、…(略)…

今では、接客などの改まった場でもあらゆるものを1個、2個と数える人をよく見かけますが、その現象も既にこの時期に指摘されています。

ら抜き言葉も何でも「個」で数える現象も最近のことだと思っていましたが、ずいぶん前から見られた現象のようです。そんな発見もあった本でした。