みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

方便か逃避か

2008年09月03日 22時35分17秒 | 性同一性障害 (GID)
私は今、元の性別を伏せたまま女性として生活しています。普通に女性として生きていきたいと望んでいます。男の子の体で生まれたということは、むやみに知られたくありません。

世間の偏見が怖いというのが一番大きな理由です。ほかに、普通の女性と同じように見て欲しい、性別を移行した人として特別な目で見られたくないという理由もあります。

何度も何度も、元の性別が知られるたびに傷つけられてきました。世間が怖くて仕方なくなり、引きこもりもしました。

もうそんな思いはしたくない。

女性として普通に生活したくて、戸籍上の名前を変更しました。戸籍上の性別は男性のままですが、生活はずいぶん楽になりました。公共の場で名前を呼ばれても元の性別が知られないのですから。

これでひとまず偏見から逃れることはできましたが、疑問がないわけではありません。

元の性別を隠して生きるのは、生活上の方便なのか、それとも現実から逃げているのか。

かつて、元の性別を伏せた状態で知り合った女友達にカミングアウトした (性別を移行したことを打ち明けた) ことがありました。

あのときは、本当に怖かったです。性同一性障害 (GID) が世間に認知されるようになってきてはいましたが、偏見は根強く残っていました (今でも偏見は強いです)。私は友達を信頼していましたが、その友達が偏見を持っていないという保証はどこにもありませんでした。

そんな中でのカミングアウトでした。友達は、果たして私を受け入れてくれるのか、去っていくのか。最悪の場合として、差別する側に回る可能性もゼロではありません。何も言わなければ、現状維持の仲よしでいられます。あえてリスクを冒すべきか。

いつか話そうと思っていても、どんな結末になるか怖くて怖くて、なかなか最初の一歩を踏み出せませんでした。

そして、いざ一歩を踏み出そうとするとき。

緊張のあまり、脳の血管がプチっと切れそうでした。頭がくらくらして、失神しそうでした。

もう、あんな苦しい思いはしたくない。

でも、偏見も怖い。

元の性別を隠して生きるのは、生活上の方便なのか、現実から逃げているのか。

板挟みの状態です。

何でもかんでも真正面からぶつかればよいわけではありません。ときには、社会のすき間をすり抜けることも有効でしょう。

元の性別を伏せていれば、偏見の目を避けて平穏な生活ができます。しかし、その状態で知り合った人には、当然、私が抱える思いや悩みを相談できません。再び傷つくことがあっても、涙にくれることがあっても、それが性同一性障害に関係している限り、自分で抱え込むしかありません。

どうする?

性同一性障害のことを隠したまま、平穏な毎日を送るのか。差別する側の人に元の性別を知られるリスクを承知で、本当の自分を受け止めてくれる人を探すのか。

黙っていても、何らかのきっかけで元の性別が知られることはあります。そのとき偏見に傷つけられても、自分を支えてくれる人がたくさんいれば乗り越えられるでしょう。積極的に打って出るのも悪くはありません。

どうする?

改名を経て、世間との戦いに一応の区切りをつけました。

次の戦いの相手は、自分です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。