目次
- 外国文学に戦意喪失
- 訳し下ろす
- 訳し上げるか訳し下ろすか
読み始めて、すぐに放棄しました。
とある外国文学の日本語訳でした。10ページか20ページ、何とか頑張りましたが、挫折 (ざせつ) しました。訳文に立ち向かっていく気力は、もうありません。
外国文学、特に西洋文学の翻訳は、どうしてこんなに読みにくいのでしょう。特に、長ったらしい修飾が多すぎます。
ヨーロッパの諸言語は、基本的な構造として、詳しい説明を後から後から追加していきます。簡単な連体修飾の例を挙げましょう。手近な素材として、プログレッシブ英和中辞典 (ネット版) の例文を引きます。
This is the pen with which he wrote the novel.
この文を読むとき、英語を母語とする人は以下のように理解を進めます。
- まず「This is the pen」を読み、これはペンなのだ、と理解します (厳密には、これは何か特定のペンなのだ、と理解します)。
- 次に、後続の「with which he wrote the novel」を読み、そのペンで彼が小説を書いたのだ、と補足情報を頭に入れます。
ヨーロッパ諸言語と異なり、日本語では、修飾する語句が修飾される語句の前に置かれます。上記の英文を翻訳するときに、penとwith which he wrote the novelの修飾関係をそのまま日本語に持ち込むと、「これは、彼がその小説を書くのに使ったペンだ」という訳文ができあがります。もともとpen→with which he wrote the novelという順序だった文が、翻訳後には逆になり、「彼がその小説を書くのに使った」→「ペン」という順序になります。言葉を下から上に移動する様子から、このような翻訳方法を「訳し上げ」と言います。
この訳し上げられた文「これは、彼がその小説を書くのに使ったペンだ」を読むときには、以下のように理解が進みます。
- まず「これは」を読みます。その後に「これ」が何であるかの説明が続くはずですが、まだ解釈は完結しません。頭の中でいったん解釈を保留した状態にします。
- 次に「彼がその小説を書くのに使った」を読み、小説が書かれたことを理解するとともに、何かが使われたことを知ります。
- 最後に「ペンだ」を読み、使われたのがペンであることを知るとともに、保留中であった「これは」の解釈が完結します。
この程度の長さの文であれば、訳し上げられていても理解に苦労しませんが、この調子で延々と訳し上げが続くと、頭の中が保留事項だらけになってしまいます。意味が理解しにくくなり、文が長ったらしくなって勢いも失われます。
ここでは連体修飾の例を挙げましたが、連用修飾も同様です。欧米の小説には長々とした比喩 (ひゆ) が多く見られます。そのような修飾も、ほとんどの場合は上記のように後ろから修飾する形をとります。当然、原文をそのまま読む場合にはすんなりと理解できます。しかし、日本語に翻訳するときに訳し上げてしまうと、訳文を読むときに頭の中の「一時保留」が増え、理解しにくくなったり、文の勢いが失われたりしてしまいます。私は、文の勢いがなくなった時点でうんざりし、読み続ける気力を失います。
翻訳家には、このようなところを上手にさばく技術を期待しますが、簡潔でさくさく読める訳文はなかなか作ってもらえません。原文の挿入句が訳文でも挿入句として書かれ、文がブチブチに切れてしまっていることも しょっちゅうです。
私は外国文学の日本語訳が苦手です。
(次回に続く)