見つけてしまいました。
先日、妹が実家を訪ねて、実家に残していた物を整理しました。整理した後に「捨てていい」と積んでいったゴミの山の中に、ちらりとイチゴの模様が見えました。
まさか。
取り出してみると、イチゴ模様のアタッシェケースでした。
真っ白だった表面もすっかり黄ばんでしまっていますが、間違いなく、あのアタッシェです。
私が小さい頃に大のお気に入りだったアタッシェです。
緑屋根のマンションの一室で愛用していた記憶があります。あのマンションに住んでいたのは、私が3歳から4歳の頃でした。たぶん、4歳の私が使っていたのでしょう。
買ってもらったのか、いとこのお姉ちゃんからもらったのか、どのようにして手に入れたかは分かりません。
中にはろくな物を入れていなかったはずですが、私にとっては大切なアタッシェでした。
表にある黒い汚れはマジックの跡。このアタッシェを画板代わりにしてお絵かきをしていたとき、マジックが紙の裏まで染みて、アタッシェが汚れてしまった跡でした。
それでも、大好きな大好きなイチゴ模様のアタッシェでした。
ある日のこと。
「こんなかわいいバッグはいらないよね? 女の子みたいだし」
うちの親はそう言って、私からイチゴのアタッシェを取り上げました。私は嫌がりましたが、親は強引に取り上げて、「はい」と妹に渡しました。
悲しい出来事でした。
それ以来、イチゴのアタッシェとは生き別れになりました。
そのアタッシェが、突如私の目の前に現れました。
ゴミの山の中から。
ぽろりと涙がこぼれ、畳を濡らしました。
「まだあったんだ」という思い。
思いつくまま、素直に自由にお絵かきや工作を楽しんでいたあの頃。
私が作った物を見ては、紙とセロテープの無駄使いだと罵倒 (ばとう) する以外に能がなかった両親。
アタッシェとの別れ。粗いノコギリで腕を切り落とされるような心の痛み。
私の思い出とともにアタッシェを使い捨てた妹。
私の悲しみは、誰も分かってくれませんでした。誰も分かろうとしませんでした。
いろいろな思いが交錯しました。
夜、母をつかまえて、イチゴ模様のアタッシェをゴミの山から見つけたと切り出しました。そして、そのアタッシェがもともと私の大のお気に入りだったことを付け加えました。
「あれは、あんたのだったの? 遊んでる途中でS子 (妹) の物に紛れちゃったわけ?」
母は、私からアタッシェを取り上げて妹に与えたことを完全に忘れていました。
「私から取り上げて、『はい』ってS子にやったんだよ」
「……ごめんね」
母はそれだけ言うと、面倒くさそうにテレビに目を戻しました。
いろいろな感情が去来して、言葉になりません。ただ涙が流れるだけでした。
母は、相変わらずテレビに目を向けています。
「今まで長いこと大事に使ってくれてたじゃない」
私の持ち物を没収して妹に与え、その妹が長い間使えば私も幸せだと言うわけ?
「嫌なこと思い出させちゃって、ごめんね」
思い出させたことが悪いの? 思い出させなければいいわけ?
母は、私の悲しみを分かろうとはしませんでした。
小さい頃に心に傷を負い、大人になって傷が広がりました。しかし一方で、私も無意識のうちに誰かを傷つけたことがあるでしょう。
私は、傷つかなければ生きていけない。同時に、誰かを傷つけなければ生きていけない。
生きるという行為は……残酷なものです。