本当の意味での宗教心を持ち合わせない現代日本人に主観的なモラルや理性を期待しても所詮、無理な話です。 今朝もテレビでは、国会議員の馬鹿山さつきが言っていましたが、こいつらでは、本質が理解できていないから何も実現できません。
主観的な分野を云々しても、世の中変わらないのです。 社会的な実情を変えることが大切です。 宗教心というような、個人の持つ感性は人がトヤカク言うべきものではないし、人にどうこう出来るものでもありません。
問題は、社会における秩序や摂理です。こういった個人と社会の分野を混同させず、指導的にある者が認識を持つべきです。
この問題については、大阪の橋下市長の言う、自由や権利の履き違いです。 秩序や制度に縛られない事が自由だ、権利だと考えてしまう愚かさです!
この度の、生活保護の悪用問題を、モラルだ、道徳だと騒いでも、どうにもなりません。 社会においては、個人よりも公共が優先すると言う観念が無いことが問題なのです。
私は、個人的には宗教心を重視していますが、先にも述べたように個人の範囲のことは、人がどうこうできませんから、社会における秩序や摂理を充実させ本当の自由や権利を国民に認識させることが重要です。
但し、日本では学者や似非有識者自身の認識がズレていますから、問題を大変難しくさせているのです。
最も大切な事は、社会と個人の権利のバランスの問題です。
この問題を、ごちゃ混ぜにして、自由だ、平等だ、権利だと主張するから国民が混同するのです。
主観的な分野を云々しても、世の中変わらないのです。 社会的な実情を変えることが大切です。 宗教心というような、個人の持つ感性は人がトヤカク言うべきものではないし、人にどうこう出来るものでもありません。
問題は、社会における秩序や摂理です。こういった個人と社会の分野を混同させず、指導的にある者が認識を持つべきです。
この問題については、大阪の橋下市長の言う、自由や権利の履き違いです。 秩序や制度に縛られない事が自由だ、権利だと考えてしまう愚かさです!
この度の、生活保護の悪用問題を、モラルだ、道徳だと騒いでも、どうにもなりません。 社会においては、個人よりも公共が優先すると言う観念が無いことが問題なのです。
私は、個人的には宗教心を重視していますが、先にも述べたように個人の範囲のことは、人がどうこうできませんから、社会における秩序や摂理を充実させ本当の自由や権利を国民に認識させることが重要です。
但し、日本では学者や似非有識者自身の認識がズレていますから、問題を大変難しくさせているのです。
最も大切な事は、社会と個人の権利のバランスの問題です。
この問題を、ごちゃ混ぜにして、自由だ、平等だ、権利だと主張するから国民が混同するのです。