ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆ある事を知る

2013年09月13日 | 日記
 今日(9月12日)は、月例の懇親会である。
 またしても、一ヶ月は巡った。
 何時もの様に、17時32分発の電車に乗車するため家を出た。
 18時宴席開始。
 15名のメンバーが参集していた。
 今回も、疑問と思っていた現役時代の事が解かった。
 想像もしなかった手法で問題を成し遂げた結果は”耳”にしていたが”誰が・どうして・どの様に”等の詳しい情報は解らなかった。
 当事者である本人が、当時の時代的背景を踏まえ、語るのであるから、これ以上の真実は無い。
 次回もまた楽しみである。
 次回は、10・10(10月10日)を提案され、再会を規して20時過ぎに散会した。
 問題の、帰路の電車である。
 やはり、乗車駅から2~3駅と思われる当たりから睡魔に負けて眠った様である。
 幸いにも、降りる二駅前で目が覚め”此処は何処だ!”とキョロキョロと見渡し、現状(今は何処)を把握する。
 この行動(動作・仕草)を他人が観れば”可笑しい”だろうと思う。
 最近、電車に乗って思うことは、新聞を読む人は皆無で、何をしているのか解らないが、携帯端末を操作している人ばかりである。
 家では出来ないことを、此処ぞばかり欲望を満たしているのであろうか?
 即ち、家にあっては、催促されるトイレでなく、車内で誰にも邪魔されない”孤高”の時を貪る様な仕草で、私には異様と思えるのである。
 その昔の車内の光景は、あの人は眠っている・この人は新聞を読んでいる・この人は読書している。
 等と、単純であった。
 そして、車内で新聞を読むにも、他人を気遣うノウハウがあった。
 今時の車内の様子から、貴方は「何しているの?」と聴いてみる勇気もない。
 それなら”何をどうしょうと、どうでも良い!”と思わざるを得ない・・・かぁ!!
 過去の光景である、車内で新聞を読んでいると同じ様に「携帯端末」を視て(操作して)いると自然に見過ごす事が出来る様になるまでには時間が掛かりそうである。
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