ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆今日は、9月2日

2013年09月02日 | 日記
 日付が日記の表題になることが続いている。
 たまたま、そうなったことであるが、今日の日付が”名前”の由来である知人がいた。
 もう四十数年、音信不通にはなっているが、9月2日になると、価値観を共有し、語り合った若き時代を懐かしく思い出されるのである。 年を重ねることも、残り少なくなった今日、もし神の采配と、許されるなら、再会して四十数年間のギャップを埋める事による危険?が含まれているとしても、逢ってみたいと思うのである。
 現在の様にメールや携帯電話で容易く音信の確認が出来る環境が、あの時代に有ればと悔やまれる。
 自動(ダイヤル)式電話と、交換手につないでもらう待時式電話が混在し、電話が手軽に掛けられなかったことから、手紙や電報が一般的な通信手段であった時代に加え、遠く離れた”環境”から疎遠になっていったのである。
 この”環境”には、仕事や転勤を理由に感けて、言い訳が含まれる。
 しかし”後悔先に立たず!”で思いは募る。
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☆9月1日

2013年09月02日 | 日記
 9月1日は関東大震災を教訓とする「防災の日」
 そして、季節の変わり目「210日」である。
 幼少の頃から、210日は”台風が来る日”として記憶している。
 台風が来ると云うニュース(天気予報)にくわえ、永年の経験から台風の影響を受けると感じれば、雨戸を釘や角材で補強し台風に備えていた。
 そして、台風と云えば停電である。
 私は、台風が来ることを秘かに願っていた様なところがあった。
 台風で雨戸を閉め、補強することになれば、父の仕事(商売)は休業になる。
 風雨が強くなって、停電になれば、蝋燭の明かりが頼りとなる。
 家族が自然と”蝋燭の灯り”に集まってくる。
 そして、家族での遊びが始まる。
 十円硬貨位の大きさ(60年位前の記憶であり、定かではない)の煎餅があった。
 擂鉢の周りに集まって、擂鉢に沿って転がすのである。
 自分が転がした煎餅が重なった一番上にあれば、下になった煎餅が自分のもになるという単純な遊びである。
 擂鉢の底まで転がって行くと”倒れる”しかなく、後から来る煎餅に負けてしまう。
 如何に擂鉢の周り(内側)を永く周回するかが勝負の分れ目となる。
 勝って煎餅が増えると言う楽しみより、父や家族が集っているという事が、風雨で家を揺るがす怖さを越えて、堪らなく好きであった。
 祖父母を含めた家族構成も少なく、雨戸を釘で固定する様な事もなく、加えて停電することも”稀”となった今では再現することは出来ない。
 210日を迎え、昔を思い、現実に戻れば、カレンダーも残すところ、あと四枚(月捲り)となっている。
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