ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆1000Kmの自転車ロード・レース

2014年09月22日 | 日記
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 昭和6年(1931年)鹿児島市・照国神社をスタートし、大阪市・大阪城をゴールとする1000余Kmに及ぶ自転車競技が開催されている。
 今日の絵日記の絵(写真)は、大阪毎日新聞社主催「西日本サイクル・チーム・レース」の開催を報じる昭和6年7月28日付の(主催者の)新聞記事である。
 そして、7月29日午前7時にスタート地点の鹿児島市・照国神社を「号砲・一発スタートを切る」と報じる新聞記事である。
 大会規約の概要は以下のとおりである。
 ①走行距離は。鹿児島市をスタート、大阪市をゴールとする1000余Km
 ②5区間(鹿児島~熊本~門司~広島~岡山~大阪)とする。
 ③各県三名の選手による「チーム・レース」であること。
 従って、チーム内で棄権者が発生すると、チーム順位は無くなり、個人成績のみとなる。
 参加県は28府県、総勢84名によるロード・レースである。
 夏季の一日と言えども、1日(夕暮れを19時として)12時間中の10時間を未舗装のロードを五日間に渡る”戦い(競技)”である。 過酷な競技であったと想像する。
 記事の中に「数度のパンク修理を経て(区間)ゴールする」などといった記述があることからも過酷さが伝わってくる。
 本題に戻るが、この競技に私の父が参戦している。
 父・26歳と記録されている。 私が生を享ける12年前である。
 私は、幼少期に父から「鹿児島から大阪までの自転車競技があって、広島で心ならずもリタイアした」こと、そして、その時に農家の主婦から提供された「”食べ物”が極上であった」ことを聞かされていた。
 今日に至って、父の思い出話しを証明するが如く、切抜きの新聞記事を眼にすることとなったのである。
 先日、兄と、この話題になったが、父が”極上”と称した食べ物に記憶の違いが生じていた。
 私の記憶は「梅干」であって、兄の記憶は、当時は希少であったと言われる「トマト」である。
 私は、夏の時期に汗をかく事によって身体が求める”塩分”で理に適ったモノと記憶していた。
 しかし、父から話しを聞いた時代の兄との年齢差から、そして、兄の自信の程からも「トマト」かな?とは思うがスッキリとはしていない。
 電話なり、手紙で問合せたい気持ちはあれど、父の居るあの世とやらには届く手立ても無く、今となっては確かめる業はない。
 父が提供を受け”極上”と称した食べ物は未解決ではあるが、幸にも母が残した新聞記事があったことから、父への想い出として日記にしてみた。
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