母が残した、父に関する昭和8年(1933年)8月17日付け「大阪毎日新聞」の記事である。
昭和8年9月9日・10日の両日、甲子園運動場(現在の甲子園球場か?)で開催される「大阪毎日新聞社主催・第三回西日本サ
イクル選手権大会」に関する地方版の記事である。
この記事に接することで、母が語った”娘(長女)の死”の事実を、言葉でなく活字で知る事となった。
古い新聞で画像修正を施したが、部分的に困難であった。
参加選手の紹介で「一昨年(昭和6年)の県代表(注釈:西日本サイクル・チーム・レースの県代表)」を果たした父に関する
記述がある。
「最近、愛児を失った悲しみまだ去めやらぬ・・・」と解読できる父の心境が記されている。
母から幾度は聞かされていた”長姉の死”を実感した。
母の「花火が揚がる中、あの子は逝った!」と言う言葉が今も思い出される。
地域を挙げての夏祭り、そして最大の催しである花火大会で盛り上がる中での出来事であった、と聞いている。
我家の裏庭に続く小学校の運動場が、花火大会の会場である。
華やかな花火の音と光り、そして歓喜溢れる人々の声が交差する。
言うに云われぬ、対照的な光景ではなかろうか?
表現不足と卑下するが「(視界のなかに)”天国”と”地獄”が同居している光景」と云える。
この様に考えると、気丈な母であっても、夏祭りの花火が揚がる度に、思い出されたのであろう。
私に語った気持ちが理解できる思いがする。
悲しい気持ちを制御する為には、経年を経ても語らずにはおられなかったのだろう!と思うである。
因みに、長姉は私より14歳上であって、三歳でその生涯を”終”としている。
この新聞記事を通じて、改めて父母の(娘を亡くした)思いを理解した思いがした。