中央紙(新聞)が、記事の削除と、誹謗中傷?した地方紙と読者に謝罪の記事を掲載した事を、昨夜・知った。
”公器”も、時の政権に”忖度”したのでしょうか・・・?
要するに「批判ばかりするのでなく、批判の対象が良い事をしたのなら、その事も記事にしなければならない」と論評したのである。
しかし、その”論評”は、足で稼ぎ・耳で聞いたことを、目で観て・口で確かめる!事もしなかった。
そして、事実でなかった事を認め、その(事実でないことを記事にした)事に対する良心から、訂正文を掲載した!と云う事の様であった。
その非を認め、訂正文を掲載したことは、(大新聞として)驕ることなく、記者の良心の現れであったと、一抹の安堵感を覚えた。
黙殺を続ければ、真実を知る術は、無いに等しい。
過ちを過ちとして正してこそ、私達は真実を知ることが出来る。
片や・未だ、説明のつかない弁明に終始する”税金の取り立て屋(失礼!)集団”・・・
納税の時期となって、税務署の職員も苦労していると聞く。
「領収書が無ければ、非課税対象には成りません」
貴方たちの上司は「証拠書類は存在しない!で、済ませれているではないか!」
部下が困惑する事は、致し方無いでしょう。
組織だから・・・
私達には順法を強いるし、拘束も躊躇しない。
しかし、片や法律違反を犯したとしても、栄達する。
影の声:忖度しなかった官僚は消えていった事もあったかなぁ!
今年も、確定申告の時期になった。
証拠書類が無い項目は、記載しないで申告する事になるのでしょうねぇ!
釈然としないが・・!
”公器”も、時の政権に”忖度”したのでしょうか・・・?
要するに「批判ばかりするのでなく、批判の対象が良い事をしたのなら、その事も記事にしなければならない」と論評したのである。
しかし、その”論評”は、足で稼ぎ・耳で聞いたことを、目で観て・口で確かめる!事もしなかった。
そして、事実でなかった事を認め、その(事実でないことを記事にした)事に対する良心から、訂正文を掲載した!と云う事の様であった。
その非を認め、訂正文を掲載したことは、(大新聞として)驕ることなく、記者の良心の現れであったと、一抹の安堵感を覚えた。
黙殺を続ければ、真実を知る術は、無いに等しい。
過ちを過ちとして正してこそ、私達は真実を知ることが出来る。
片や・未だ、説明のつかない弁明に終始する”税金の取り立て屋(失礼!)集団”・・・
納税の時期となって、税務署の職員も苦労していると聞く。
「領収書が無ければ、非課税対象には成りません」
貴方たちの上司は「証拠書類は存在しない!で、済ませれているではないか!」
部下が困惑する事は、致し方無いでしょう。
組織だから・・・
私達には順法を強いるし、拘束も躊躇しない。
しかし、片や法律違反を犯したとしても、栄達する。
影の声:忖度しなかった官僚は消えていった事もあったかなぁ!
今年も、確定申告の時期になった。
証拠書類が無い項目は、記載しないで申告する事になるのでしょうねぇ!
釈然としないが・・!