<2009.2.1>
五・七・五 と言えば俳句をまず思い浮かべる。
最近特に新聞やテレビ番組で俳句にお眼にかかることが多いが、よくもまあ十七文字の中に凝縮して、ひと様に情景を思い浮かべさせる表現ができるものだなあ、といつも感心しているところである。
私も散歩の傍ら時々風景を見ながら自己流で読んでみるが、新聞・テレビなどでお眼にかかるのとは大きく違っている。
どこが違うかとい言えば、自分が読んだ五七五では情景が全く浮かばないのである。
何故だろうかとまたひねって見ては、作り替えてみるがなかなか希望通りの句とはならない。勿論この関係の本も読んでないし、先生にもついてないずぶの素人なので無理からぬことかも知れない。
しかし根本は、やはり感性と素直さに原因がありそうである。
自分が見た情景をどう感じるか(感動を覚えるか、表面的に感じるか、何も感じないか)ということと、そのことをどう言葉にできるか、素直な表現力も関係しているようである。
・・・・と思っていても自分で根気よく作っていくことは、なかなか難しい。
しばらくは他人様の作品をなるべく多く味あわせていただくことになりそうである。
<久しぶりに通った山中の散歩道>
五・七・五 と言えば俳句をまず思い浮かべる。
最近特に新聞やテレビ番組で俳句にお眼にかかることが多いが、よくもまあ十七文字の中に凝縮して、ひと様に情景を思い浮かべさせる表現ができるものだなあ、といつも感心しているところである。
私も散歩の傍ら時々風景を見ながら自己流で読んでみるが、新聞・テレビなどでお眼にかかるのとは大きく違っている。
どこが違うかとい言えば、自分が読んだ五七五では情景が全く浮かばないのである。
何故だろうかとまたひねって見ては、作り替えてみるがなかなか希望通りの句とはならない。勿論この関係の本も読んでないし、先生にもついてないずぶの素人なので無理からぬことかも知れない。
しかし根本は、やはり感性と素直さに原因がありそうである。
自分が見た情景をどう感じるか(感動を覚えるか、表面的に感じるか、何も感じないか)ということと、そのことをどう言葉にできるか、素直な表現力も関係しているようである。
・・・・と思っていても自分で根気よく作っていくことは、なかなか難しい。
しばらくは他人様の作品をなるべく多く味あわせていただくことになりそうである。
<久しぶりに通った山中の散歩道>