<2020.03.14>
新型コロナウイルスで、まったく関係のないトイレットペーパーが、1~2週間前は、どこに行っても売り切れとなっていたが、先日ドラッグストアに行ったらかなり棚に陳列されていた。
ようやくデマ騒ぎから落ち着いてきたかな?と感じたしだいである。
このデマ騒ぎについて想いを綴って見たいと思う。
私がこのことを知ったのは、2~3週間余り前のラジオの番組でのアナウンサーの「SNSでトイレットペーパーがなくなっているという聴視者の投稿があっている」という放送があって、初めて知ったようなわけである。
その後は、皆さん承知のように、テレビ・ラジオ他のメディアで、「これは国産であり生産は足りてますよ、買いだめに走る必要はありませんよ、冷静に!」と、ズーと呼び掛けていたが、もう間に合わない状況に陥っていたようであった。
通常のような買い物をするならば、その通りいきわたるはずであるが、一度なくなりかけたと聞いた消費者が、正常心で買うはずがない。
(いくら補充しても通常の何倍も買い込むためにすぐに店頭からなくなってしまうわけである)
ここには、日頃良識に自信を持つ日本人も、我が身可愛くて『ついつい』本性に負けてしまった結果であろう。
(私も家の残量を見てこんな状況ならば買っておこうかと店に走ったが、空っぽであった)
このことから、私なりに考えて見ると、もし仮に報道機関が「SNSに出ているが・・・・」ということを知らさなかったら、ひょっとしたら、潤沢にあるという『トイレットペーパー』でこんなパニックにはならなかっただろうと・・・・、否、なったとしてもSNSでのみならば、もっとゆっくりと情報が伝わりパニック状態は避けられたかも知れないと勝手に思ったわけである。
万人が係わる公共電波を使うテレビ・ラジオ・新聞は、自らが情報を流すにあたって、このこと、すなわち情報を流した結果がどうなるかということまで、深く考えたのだろうかと・・・・。
急激に減っていく『トイレットペーパ』を買いそびれて、右往左往する多くの市民の姿が思い浮かばなかったんだろうかと・・・・・。
デマ(負の連鎖)の流れを食い止めるには、場合によっては『沈黙のまま』の公共電波も大切である。
SNSと公共電波のスケールの違いは、スマホが発達したとは言え、まだまだその影響力には差があるのではないだろうかと言う想いで綴って見た。
<キンセンカと水仙・・・・満開>
<サクラ・・・・満開もう少し>
<新芽これからのナンキンハゼ?・・・・苔は早々と共生>