経済産業事務次官講演会
経済産業事務次官北畑隆生氏
「会社は株主だけのものか? ─企業買収防衛策・外為法制度改正・ガバナンス─」
発言が問題視された上記講演の内容(原稿?)が経済産業省のサイトに掲載されています。
ここです。
問題になったような表現は変更されているようです。本来の講演の趣旨を伝えようという意図かもしれませんが、これは講演記録そのものではないことにまず留意しておく必要がありましょう。
全文で39ページにわたるものですが、プリントアウトして、風呂に入りながら読んでみました。こういうのを印刷する時は裏の白い紙を使います。決算短信とかね。で、あとは紙資源回収にまわします。どこまで再生されてんねん?。
結論から言うと、「大したことは言っていない」ということになります。
ブルドックソース事件での東京高裁を引用しているのですが、「株式会社は理念的には企業価値を可能な限り最大化して、株主に分配するための営利組織であるが、同時に、そのような株式会社も単独で営利追求活動ができるわけではなく、一個の社会的存在であり、対内的には従業員を抱え、対外的には取引先、消費者等との経済的な活動を通じて利益を獲得している存在であることは明らかであるから、従業員、取引先など多種多様な利害関係人(ステークホルダー)との不可分な関係を視野に入れた上で企業価値を高めていくべきものであり、企業価値について、専ら株主利益のみを考慮する考え方には限界がある」というのがその内容です。
結局、講演者の言いたいことはこれだけです、上記の文を読む限り。
上記の内容は文章内容からすれば納得しやすいものです。ただ、個々の具体的ケースで、何を優先として判断するのかは異なってくると思います。
この講演内容全体で、意図的にか非意図的にか混同されているのは、株式会社に対する法的権利の問題と、会社はどのように経営されるのが適切なのかという問題です。
前段については、これは「法的には株主に権利がある」というのは当然のことであり、経営が多くのステークホルダーのことを考えてすすめられなければならないのも当然のことです。無論、多くのステークホルダーにとっては、それが対立することもあり、調整をはからなければならないこともあります。というか、そんなことばっかりで、その判断こそが経営の本質?。
また、法的に権利があるからといって、それをどのように行使してもよいかとなれば、そうではないというのも納得しやすいでしょう。
ただ、法律や行政で株主の公平性を損なうような仕組みを作ろうとするようなことがあれば、これは問題でしょう。
会社側が議決権のない株式を発行するようなことは、それは会社としての判断としていいと思いますが。実際、伊藤園なんかはこれをしてますよね。これ、週末の株価で、優先株1,555円に対して、通常の株式は 2,135円と大きく差がついています。つまり、議決権のない優先株はマーケットで評価されていないということです、これについていえば。欧米では議決権のない株式は2割ほどディスカウントということを聞いたことがあります。
つまり「会社はだれのものか」という問いそのものの意味が不明瞭であるということが、結果として講演の内容を質の低いものとしてしまっているという印象でした。テーマそのものが不明確な論文がいい論文であるはずがありません、一般論としてもね。
最後の文章は「出資者のものであると同時に、会社を構成している社長以下の働いている人のものだというのが実体的には正しいのではないかと思います。」で終わってます。この「もの」ということの意味が違うと思うわけですわ、前段と後段では。
これには、最初の報道に接した時とは違う意味で、がっかりさせられました。読後感を一言で言えば「なにをつまらんこと言うてんねん」です。
まあ、多くの人は、こんな文章まで読まないでしょうから「何をアホなこと言うてんねん」「経済のイロハもわからんのか」ぐらいで終わりだと思いますが・・・。
経済産業事務次官北畑隆生氏
「会社は株主だけのものか? ─企業買収防衛策・外為法制度改正・ガバナンス─」
発言が問題視された上記講演の内容(原稿?)が経済産業省のサイトに掲載されています。
ここです。
問題になったような表現は変更されているようです。本来の講演の趣旨を伝えようという意図かもしれませんが、これは講演記録そのものではないことにまず留意しておく必要がありましょう。
全文で39ページにわたるものですが、プリントアウトして、風呂に入りながら読んでみました。こういうのを印刷する時は裏の白い紙を使います。決算短信とかね。で、あとは紙資源回収にまわします。どこまで再生されてんねん?。
結論から言うと、「大したことは言っていない」ということになります。
ブルドックソース事件での東京高裁を引用しているのですが、「株式会社は理念的には企業価値を可能な限り最大化して、株主に分配するための営利組織であるが、同時に、そのような株式会社も単独で営利追求活動ができるわけではなく、一個の社会的存在であり、対内的には従業員を抱え、対外的には取引先、消費者等との経済的な活動を通じて利益を獲得している存在であることは明らかであるから、従業員、取引先など多種多様な利害関係人(ステークホルダー)との不可分な関係を視野に入れた上で企業価値を高めていくべきものであり、企業価値について、専ら株主利益のみを考慮する考え方には限界がある」というのがその内容です。
結局、講演者の言いたいことはこれだけです、上記の文を読む限り。
上記の内容は文章内容からすれば納得しやすいものです。ただ、個々の具体的ケースで、何を優先として判断するのかは異なってくると思います。
この講演内容全体で、意図的にか非意図的にか混同されているのは、株式会社に対する法的権利の問題と、会社はどのように経営されるのが適切なのかという問題です。
前段については、これは「法的には株主に権利がある」というのは当然のことであり、経営が多くのステークホルダーのことを考えてすすめられなければならないのも当然のことです。無論、多くのステークホルダーにとっては、それが対立することもあり、調整をはからなければならないこともあります。というか、そんなことばっかりで、その判断こそが経営の本質?。
また、法的に権利があるからといって、それをどのように行使してもよいかとなれば、そうではないというのも納得しやすいでしょう。
ただ、法律や行政で株主の公平性を損なうような仕組みを作ろうとするようなことがあれば、これは問題でしょう。
会社側が議決権のない株式を発行するようなことは、それは会社としての判断としていいと思いますが。実際、伊藤園なんかはこれをしてますよね。これ、週末の株価で、優先株1,555円に対して、通常の株式は 2,135円と大きく差がついています。つまり、議決権のない優先株はマーケットで評価されていないということです、これについていえば。欧米では議決権のない株式は2割ほどディスカウントということを聞いたことがあります。
つまり「会社はだれのものか」という問いそのものの意味が不明瞭であるということが、結果として講演の内容を質の低いものとしてしまっているという印象でした。テーマそのものが不明確な論文がいい論文であるはずがありません、一般論としてもね。
最後の文章は「出資者のものであると同時に、会社を構成している社長以下の働いている人のものだというのが実体的には正しいのではないかと思います。」で終わってます。この「もの」ということの意味が違うと思うわけですわ、前段と後段では。
これには、最初の報道に接した時とは違う意味で、がっかりさせられました。読後感を一言で言えば「なにをつまらんこと言うてんねん」です。
まあ、多くの人は、こんな文章まで読まないでしょうから「何をアホなこと言うてんねん」「経済のイロハもわからんのか」ぐらいで終わりだと思いますが・・・。