重症児の授業づくり | |
三木 裕和,原田 文孝 | |
クリエイツかもがわ |
さてと、ケガからほぼ一ヶ月が経過。短いような、やたらと長いような、なにかこれまでにない、わけのわからない時間の流れを経験しました。
まだ肩には金属が入っていて動作の制限があり、急に腋の下を少し開くような動きをしたりすると痛みが走ったりします。
現状では、まだ本格的なリハビリには入れません。「鍛える」という段階に至らないということです。それでも、歩いたりすることはできますし、あまり加重がかからないような動きをすることは、PTの先生からもすすめられているので、そういうことはすすめていこうと思います。
で、ちょっとこうした関係の書籍なども再度読み返してみようと思います。
本書は長く兵庫県で実践を積み重ねられてきている二人の先生による著作です。これまで、直接お話を聞かせていただく機会もありました。
ここではまず書名で「重症児」という言葉が使われています。言葉の概念規定が明確にされているわけではないですが、ここでは、「医療的ケア対応を含む、重度の重複障害のある子どもたち」というような理解でいいかと思います。というと、なにをもって重度なのかとかいうことになるのですが、まあ、発達段階でいえば1歳半未満、運動面では姿勢変換ができないか、あるいは寝返り程度は可能という感じでしょうか。
冒頭の「はじめに」のところで、1979年のいわゆる「養護学校義務制」実施時に「紙オシメを替えることも教育である」ということについての議論がなされていたとの記述があります。
自分自身がこうした仕事について時には、すでにこの議論はありませんでした。それは単純に結論からいえばすでに「教育である」として整理をされた上で、日々の実践に取り組んでいるということになります。
「はじめに」の中で「紙オシメをしている子どもを世話・介護される対象ではなく、紙オシメを替えて気持ちよくなったことを学ぶ主体者としてとらえることを提起した」という記述があります。
ここの部分だけ取り上げても、今日でも様々な議論が可能かと思います。ただ、私たちが現場で子どもにのオシメを替える時、そこには当然、単なる生活上の世話とか介護とかいうことだけでない、大切な意味があるということは意識されるべきであり、実際、そのように意識をして日々の実践はすすめられていると思います。
蛇足ながら、私が初めて子どもたちに関わった時は、まだ「紙」ではなく「布」が使われていました。