山西冬彦ほぼ週刊トライアスリート通信

65歳を過ぎたおじさんのトレーニング&レース&エトセトラ

礫川コースでトレーニング&茗荷谷散策号

2015-11-04 12:41:07 | トレーニング

10/31土曜日

帰宅後、家の周りを5周。

4周目から時計をみずに走ったら

なんと前回のタイムと同じ、ジャスト1時間。

11/1日曜日

午前中、鷺宮体育館にスイムトレ。

クロールワンポイントレッスンをやっていたので参加したが、

20人位参加しているのに講師は一人。

みんなで基礎練習しただけ。

これは時間の無駄だった。

11/3文化の日

毎年恒例の上鷺地区ソフトボール大会がグランド状態が悪く中止に。

午後から、伝通院のまわりを周回する「礫川ハーフマラソン」のコースを走る。

1周目流して走ったら、17分もかかってしまい、次の2周は15分台で。

これが意外にきつかった。

15分台で走るのは無理なことが分かった。

当日は16分台前半でなんとか7周走ることを目標に練習しようっと。

練習後、クールダウンを兼ねて茗荷谷周辺を散策。

▽拓殖大学国際教育会館

▽この門のデザインがいい。

【建物の沿革等】ウィキペディアによる
設計は内田祥三。
元々は義和団の乱の賠償金によって東方文化学院東京研究所(現在の東京大学東洋文化研究所)として建設された建物である。第二次世界大戦後は外務省の外務省研修所も入居、東京大学と外務省が共同で管理していた。
1967年に東京大学東洋文化研究所が東京大学本郷キャンパスへ移転、さらに省庁の研修施設を郊外へ移転する政府の方針によって1995年に外務省研修所が相模原市へ移転すると同敷地の民間払い下げが検討されることとなった。
その際、建築物としての歴史的価値を認める建築家と同所に大規模マンションが建設されることに懸念を持った地元住民によって「旧東方文化学院の建物を生かす会」が結成され、保存運動が展開された。
当初は東京大学が買い取るように要望をしていたが財政問題などから買い取りを拒否、最終的に同建物の至近にキャンパスを設置していた拓殖大学が同会の運動に理解を示したことから、財務省は同建物の保存を条件に払い下げを実施することとなった。

そうです。

▽OCHA HOUSE(お茶の水女子大学) ぜんぜん使われている様子がなかった。もったいない。

▽湯立坂にある旧磯野家住宅の門

▽湯立坂の風景1(反対運動のあったマンションンもすでに建っていた)

▽湯立坂の風景2


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