がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

自分の履歴

2011年09月18日 10時00分00秒 | My House♡ My Fashion♡

先日、友人母のお通夜に参列した時に、これまで考えていたこともなかったことに気が付いた。

通夜の最後、亡くなった本人の経歴を簡単に紹介するのが通例だ。

 

聞きながら、はたと考えた。

亡くなった本人の経歴。

残された家族はどこまで覚えているのだろうか。 

 

通夜の準備に入ってから、残された家族が、どこの高校を卒業したのかとか、連れ合いとの出会いはどこでどんなふうにだったとか、聞かれまくるのだ。

連れ合いなら結婚してから、子供たちなら自分が生まれてから、だったら記憶を辿っていけば何とか思い出せるだろう。(逝去してから通夜までの短時間に文章に起こせるかどうかは別として)

だが、それ以前の記録はどうなのか。連れ合いと一緒になる前。 結婚する前。 もしかしたら連れ合いでさえ記憶があいまいな部分があるのではないか。

自分が誰の子供で、〇〇小学校、△△中学校、××高校を卒業して、どこそこへ就職して・・途中、こんな賞罰が(罰は言わないが。ふつう。(笑))あって・・・

 

 

遺族たちが「思い出せない。わからない。」と言って、まさか故人を叩き起こして聞くわけにもいくまい。 

まぁ叩き起こして、それをきっかけに再び生の世界に戻ってきてくれれば、それはそれで万事めでたしにはなるが。(笑)

 

 

自分がいつまでも元気で、子供が先に死んでも自分は生きているならこんな心配はしない。

だがそうではないから、改めて自分の記録を残しておこうと思い立った。

 

家族にとっては「そんなこと、しなくてもいい!」に当然なるが、その時期が来たときには、残されている記録はとても役に立つものとなるはずだ。

通夜までの短い貴重な時間を、『故人の記録を思い起こすのに時間が必要です』とならないよう自分の記録を残しておきたい。

 

 

ということで、子供たちへ。

 

お母が突然逝っちゃっても、お母のこれまでの記録の場所は伝えておく。

写真は撮られるのが嫌いでこれまできたので、

名刺に刷ってある 『がんぼのイラスト』  で出してくれ。

 こっちの方がいいかなぁ??

 

葬式代は全くないので出さなくてもいい。 (正確には『出せない』だが)

もし人様が来て下さったなら「生前母が本当にお世話になりました、ありがとうございました」と、ご丁重にお礼を申し上げてくだされ。

国の法律上、火葬は避けられないので仕方がないが、お墓はできれば「一人暮らし」が望ましい。

 

遺言、以上!    ← めっちゃ事務的(笑)


更年期障害

2011年09月18日 09時38分20秒 | 自身の健康

先月、半月近く続いた頭痛は、人によると「更年期障害による頭痛」の可能性が大いにあるという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

認めたくないんですけど。(^_^;)  更年期。 ← 自分には一生ありえないと信じている。(笑)

 

 

 

 

実際に、自分の体が、若いうちの生理的現象から、ある時期をはさんで老年の生理現象に変わっていく端境期(はざかいき)であり、私の場合は、それに体が対応するための変化の一つとして頭痛という症状で現れたのかもしれない。

人には一生を過ごしていくうちに、男女無関係に必ず身体的な切り替わりの時期がある。

女性の場合は、幼年期から少女期、生理が始まり妊娠出産をできる体になる大きな変換機である青年期、子供を産み、閉経して妊娠期を終え、老年期を迎えるというとてつもない大きな身体的変化がある。

つぼみが大きく美しく花開き、実をつけて子孫を残した後は、しぼんでしぼんでしぼんで・・・(書いてて辛くなってきた。(・。・;

 

それらにその都度、順応して生きていくために体の中で整理整頓ができていくのだろう。

 

 

更年期の症状も、人によって実にさまざまで、中には寝込んだりひどい場合入院してしまったりする例もあるという。

それらを目にすると、半月程度の頭痛で済んで楽だったと思うべきと考える。

 

 

これって、「ふつうのおばさん」やってたら、きっと大騒ぎしていたんだろうな~。

専業主婦でお金の心配がなくてという生活にいたら、(たいしたことがなくても)ヘロヘロになって入院だ退院だ、クスリだサプリだと騒いでいたと思う。←自分。

 

 

 

良くも悪くも、「お金がない」とは たくましく生きる糧でもあるのだ。(^_^;)


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