先日、友人母のお通夜に参列した時に、これまで考えていたこともなかったことに気が付いた。
通夜の最後、亡くなった本人の経歴を簡単に紹介するのが通例だ。
聞きながら、はたと考えた。
亡くなった本人の経歴。
残された家族はどこまで覚えているのだろうか。
通夜の準備に入ってから、残された家族が、どこの高校を卒業したのかとか、連れ合いとの出会いはどこでどんなふうにだったとか、聞かれまくるのだ。
連れ合いなら結婚してから、子供たちなら自分が生まれてから、だったら記憶を辿っていけば何とか思い出せるだろう。(逝去してから通夜までの短時間に文章に起こせるかどうかは別として)
だが、それ以前の記録はどうなのか。連れ合いと一緒になる前。 結婚する前。 もしかしたら連れ合いでさえ記憶があいまいな部分があるのではないか。
自分が誰の子供で、〇〇小学校、△△中学校、××高校を卒業して、どこそこへ就職して・・途中、こんな賞罰が(罰は言わないが。ふつう。(笑))あって・・・
遺族たちが「思い出せない。わからない。」と言って、まさか故人を叩き起こして聞くわけにもいくまい。
まぁ叩き起こして、それをきっかけに再び生の世界に戻ってきてくれれば、それはそれで万事めでたしにはなるが。(笑)
自分がいつまでも元気で、子供が先に死んでも自分は生きているならこんな心配はしない。
だがそうではないから、改めて自分の記録を残しておこうと思い立った。
家族にとっては「そんなこと、しなくてもいい!」に当然なるが、その時期が来たときには、残されている記録はとても役に立つものとなるはずだ。
通夜までの短い貴重な時間を、『故人の記録を思い起こすのに時間が必要です』とならないよう自分の記録を残しておきたい。
ということで、子供たちへ。
お母が突然逝っちゃっても、お母のこれまでの記録の場所は伝えておく。
写真は撮られるのが嫌いでこれまできたので、
葬式代は全くないので出さなくてもいい。 (正確には『出せない』だが)
もし人様が来て下さったなら「生前母が本当にお世話になりました、ありがとうございました」と、ご丁重にお礼を申し上げてくだされ。
国の法律上、火葬は避けられないので仕方がないが、お墓はできれば「一人暮らし」が望ましい。
遺言、以上! ← めっちゃ事務的(笑)