二日目、平取の萱野茂アイヌ記念館での一コマ。
いきなりですんません。
先日のネタが自分でウケてしまって。
これ、チョウザメの仲間です。 詳しくは後程。(笑)
このシチュエーションは癖になりそう。(笑)
二日目、平取の萱野茂アイヌ記念館での一コマ。
いきなりですんません。
先日のネタが自分でウケてしまって。
これ、チョウザメの仲間です。 詳しくは後程。(笑)
このシチュエーションは癖になりそう。(笑)
遠軽町郷土館にて「滝錬太郎氏所蔵によるマッチ箱展覧会」の一コマから・・・。
自宅へ戻って写真を取り込み確認しようとしたらいきなりこの写真が。(^_^;)
吹いた。
確かに郷土館資料室へ入ってすぐにエゾシカ君(剥製)がいるけれど。
あ、もちろん次のコマからはちゃんとマッチ箱展覧会の写真が写ってます。(笑)
大丈夫なんだろうか・・ (-_-;)
遠軽~江別 開拓記念館~千歳空港~白老アイヌ民族博物館~白老一泊~平取町二部谷アイヌ文化博物館~遠軽
参加者 9名
ルートは以下
白老・平取は初めてだ。 白老は十数年前に家族で「登別」へ行った往復で通過してるはずだが全く記憶にない。(^_^;)
お金がないので買い物などの楽しみは一切できず、金銭負担は旅費だけ、小遣いなしという、まさに学生修学旅行状態。
さてさて、どんなみやげ話が飛び出すやら。
先日、友人母のお通夜に参列した時に、これまで考えていたこともなかったことに気が付いた。
通夜の最後、亡くなった本人の経歴を簡単に紹介するのが通例だ。
聞きながら、はたと考えた。
亡くなった本人の経歴。
残された家族はどこまで覚えているのだろうか。
通夜の準備に入ってから、残された家族が、どこの高校を卒業したのかとか、連れ合いとの出会いはどこでどんなふうにだったとか、聞かれまくるのだ。
連れ合いなら結婚してから、子供たちなら自分が生まれてから、だったら記憶を辿っていけば何とか思い出せるだろう。(逝去してから通夜までの短時間に文章に起こせるかどうかは別として)
だが、それ以前の記録はどうなのか。連れ合いと一緒になる前。 結婚する前。 もしかしたら連れ合いでさえ記憶があいまいな部分があるのではないか。
自分が誰の子供で、〇〇小学校、△△中学校、××高校を卒業して、どこそこへ就職して・・途中、こんな賞罰が(罰は言わないが。ふつう。(笑))あって・・・
遺族たちが「思い出せない。わからない。」と言って、まさか故人を叩き起こして聞くわけにもいくまい。
まぁ叩き起こして、それをきっかけに再び生の世界に戻ってきてくれれば、それはそれで万事めでたしにはなるが。(笑)
自分がいつまでも元気で、子供が先に死んでも自分は生きているならこんな心配はしない。
だがそうではないから、改めて自分の記録を残しておこうと思い立った。
家族にとっては「そんなこと、しなくてもいい!」に当然なるが、その時期が来たときには、残されている記録はとても役に立つものとなるはずだ。
通夜までの短い貴重な時間を、『故人の記録を思い起こすのに時間が必要です』とならないよう自分の記録を残しておきたい。
ということで、子供たちへ。
お母が突然逝っちゃっても、お母のこれまでの記録の場所は伝えておく。
写真は撮られるのが嫌いでこれまできたので、
葬式代は全くないので出さなくてもいい。 (正確には『出せない』だが)
もし人様が来て下さったなら「生前母が本当にお世話になりました、ありがとうございました」と、ご丁重にお礼を申し上げてくだされ。
国の法律上、火葬は避けられないので仕方がないが、お墓はできれば「一人暮らし」が望ましい。
遺言、以上! ← めっちゃ事務的(笑)
先月、半月近く続いた頭痛は、人によると「更年期障害による頭痛」の可能性が大いにあるという。
認めたくないんですけど。(^_^;) 更年期。 ← 自分には一生ありえないと信じている。(笑)
実際に、自分の体が、若いうちの生理的現象から、ある時期をはさんで老年の生理現象に変わっていく端境期(はざかいき)であり、私の場合は、それに体が対応するための変化の一つとして頭痛という症状で現れたのかもしれない。
人には一生を過ごしていくうちに、男女無関係に必ず身体的な切り替わりの時期がある。
女性の場合は、幼年期から少女期、生理が始まり妊娠出産をできる体になる大きな変換機である青年期、子供を産み、閉経して妊娠期を終え、老年期を迎えるというとてつもない大きな身体的変化がある。
つぼみが大きく美しく花開き、実をつけて子孫を残した後は、しぼんでしぼんでしぼんで・・・(書いてて辛くなってきた。(・。・;
それらにその都度、順応して生きていくために体の中で整理整頓ができていくのだろう。
更年期の症状も、人によって実にさまざまで、中には寝込んだりひどい場合入院してしまったりする例もあるという。
それらを目にすると、半月程度の頭痛で済んで楽だったと思うべきと考える。
これって、「ふつうのおばさん」やってたら、きっと大騒ぎしていたんだろうな~。
専業主婦でお金の心配がなくてという生活にいたら、(たいしたことがなくても)ヘロヘロになって入院だ退院だ、クスリだサプリだと騒いでいたと思う。←自分。
良くも悪くも、「お金がない」とは たくましく生きる糧でもあるのだ。(^_^;)
※20110916 追記あり
紋別N氏母 逝去の連絡。O氏より連絡戴く。詳細は不明。
16日、友人出身町 地元お寺さんにてお通夜に参列させていただいた。
77歳、結腸ガンだったそうだ。
お通夜を終了し、皆さんが遺族の前を通り帰り支度をする間に、お線香をあげさせていただいた。
何度か私の実家である、お店にも来てくださいましたよね、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
フッターの表記 編集。
/public_html/***/modules/mod_footer/tmpl/default.php
23日頃から続いた頭痛は、9月6日頃にようやく『完治』。
日中は何とかごまかしながら仕事をすることができたのだが、夜、寝るときになると、また明け方に、ズッキンズッキンがやはり残っていて熟睡ができずつらい日が続いていた。
それが9月6日朝までグッスリ眠ることができ、それ以来頭痛に悩まされることなくきた。
いつもは頭痛といっても半日程度で終わるのに、今回は長かったなぁ・・(-_-;)